富士吉田出身、現在スウェーデン在住ケイゴマンのコラムです。
バローロから学ぶ産地の在り方 -入門篇-
ぬぉぉぉぉぉぉぉぃぃぃぃぉぉぉぉ!!!!!!!!!
イタリアから、こんにちは。けいごまんです。
卒業後に今後の社会の在り方や自分の進む道を様々な角度で探るため、今ヨーロッパをバックパックひとつで巡っています。
イタリアにきたのは、どうもイタリアの人たちはローカルをとても大切にしている、ということを聞いたから。
クラスメイトもこぞって、イタリアは素晴らしいよ!食、アート、文化に関してはヨーロッパで右に出る国はなかなかないんじゃないかな。でも、電車が遅れたり、とか
ビロクラシィに関わるものはこぞって、崩壊してるよ!と太鼓判をおしていた。
だので、僕も友達のイタリア関係者にメッセンジャーを送っては情報を集めていたわけです。僕から連絡いったみなさま、ほんとありがとう!!!!!!
そんなわけで、北イタリアから南イタリアまで、ここ1ヶ月ほど滞在しているわけです。もちろん、ローカルを大切にしているヒミツをイタリア人に聞いたり、イタリアに住んでる日本人に聞いたり、自分が感じたこととか、かなり発見があったんだけど、それは今回、ここではお伝えしません!!!!!!!
それよりもハタオリのマチにピッタリのネタがテに入ったのヨ、アニキィ!
それをシェアしようかなって思って。
北イタリアの目的は、ブラっていう小さな街に「スローフード」っていうコンセプトを広めている協会があって、そこに訪れたかったの。ブラに滞在しているときに偶然にも周囲を探索するよっていう人がいて、一緒させてもらっていろんな街を訪れたのだ。ブラっていう街は、トリノから30分-40分くらいのところにあって、世界でも類を見ない「食科学大学」ってのがあるのだな。スローフードの発祥地だけあって、食べ物もおいしかったヨ。
そんで、ここのブラ周辺には、トリフが名物の街があったり、ワインの産地であったり、小さい村が点々とあるような感じなのだ。実際、イタリアって人口の半分くらいの人が5万人以下の町や村に住んでいるんだって。車で一山越えれば、次の街って感じ。
そう、そして舞台はワインの名産地。バローロ。ブラから車で、20、30分という感じ。ちょうどワインフェスをしていて、小さい街がとても賑やかだった。
最近読んだマンガで「王様の仕立て屋」っていうマンガあるのだけど、ここにバローロが出てくる。主人公がマフィアの洋服を仕立てる。最高の仕上がり。
マフィアのドンはお礼にと、言い値で売って欲しいと申し出る。粋な主人公は、こんなやっつけ仕事じゃ、師匠が枕元にでちまう、とその申し出を断る。代わりにと、棚にあった当たり年のバローロが飲みたいといって二人で乾杯をして、物語は終わる。
日本の漫画でも使われるほど、イタリアの中でもバローロはとても有名らしい。ワインはピンキリだけど、僕が見た中では、100ユーロとか200ユーロとかでも売られていた。一本、一万円から二万円以上の世界。高級なワインだ。
バローロを知ってから、読んだ本(下記注)があって、その中にどういう風にその地位を築いていったかが書いてある。今でこそ地位を確固たるものにしたけど、大変な時期を過ごしたらしい。
戦後にワインが売れなくなって、若者はこぞってアルバやトリノにでていってしまったらしい。一度、ワイン事業者に統計調査をしたら、1000人、2000人(ちょっと数字が曖昧だけども)の事業者の中で、40代以下の若者が何人いるかっていう統計で「5人」しかいなかったんだって。その数値に危機感を覚え、のちの地域のカリスマになるエリオ・アルターレさんがいたのだ。
エリオさんが奮闘しながら、バローロをワインの産地としてのブランドを取り戻していく様子が興味深い。
(バローロは戦前まではその地位を確固たるモノとしていたが、戦後になってそのブランドがひっくりかえった。それをまたひっくり返したのがエリオさんとその仲間たちなのだ!)
エリオさんは、戦後にブドウを底値まで買い叩かれた経験をして、もうブルゴーニュに行くしかないとブルゴーニュに行くんです。そこで体験したことって、、、
ブルゴーニュの人たちは質にこだわってた。バローロの人たちは量にこだわってた。
ブルゴーニュの人たちはお互いを尊敬しあってた。バローロの人たちはお互いをディスってた。
ブルゴーニュの人たちは新しい製法で作っていた。バローロの人たちは伝統に縛られていた。
それから、競争よりも協働、独占よりもシェア、伝統より新しい方法で産地としての在り方を模索していったんだって。
これってどこでもある話のような気がして、結局の構造として、「伝統VS革新」みたいな。そこで、ブレイクスルーする人たちが出てくるっていう話だよね。
※読んだ本は、「スローフードな人生!イタリアの食卓からはじまる」島村菜津さんの著書です。ちょうどバローロを訪れるタイミングで知れて、バローロのストーリーについて知ることができたとても良い本でした。
さてさてさて、富士吉田だって、たくさんの紆余曲折、たくさんの登り下り、たくさんの酸いも甘いを経験して、今ここにいるわけじゃない。東京造形大学とのコラボも10年して、ハタオリトラベルだって、ハタフェスだって、昔の人が見たら「なんじゃこりゃぁ」って思うかもしれない。でも、個人の視点からみると、織物に関わる人だけじゃなくて、地元の人、富士吉田に移住してきた人、学生さん、アーティスト、市役所の人、様々な人が関わって今の形ができてる姿はとても美しいとおもう。
ちなみにエリオさんは、先代に新樽を使うことを説得し続けたのだけど、叶わなくて、ついには伝統的な大樽をチェンソーで切りつけようとした。先代(父)はついに息子が狂ったか、と思ったらしい笑 でも、最終的にはバローロは戦前よりもさらにワインの産地として世界的に有名になっていくのです。エリオさんのワイナリーには「伝統は成功した革命である」と貼ってあるのだ。
自分自身がバローロを訪れた感じたのは、小さい街に人が訪れていた。もちろんワインフェスティバルの最中だったし、滞在は一瞬だったから全ては言えないけど、どこの小さい街でもイタリアは人で溢れている気がする。地元のお店も多いし、小さいお店が多い。スローフードのはじまりだって、ローマにマクドナルドができるっていうことがきっかけだったから、僕が思う「外資」に対してすごく敏感である国だと思う。
※外資とは、地域にチェーン展開をする都会に資本がある大きな会社である。(あんまり詳しく書くと良くないからね!笑)
話を元に戻して!
そう、次に富士吉田が訪れる場所はバローロなんじゃないかと思って!笑 ミラノで生地を出したりしてなかったですか? そうバローロはすぐそこなんです!!!
僕自身もエリオさん自身にどういう風にブランディングをし直していったかすごく聞いてみたい。
ちなみにイタリアでは地元色が大事にされているので、自分たちの州以外のところでマーケットを開拓するのがすごく難しいみたい。だので、もし違うマーケットを開拓するとなると、イタリア内ではなくEUや海外に市場をのばそうとするらしいんです。そういった話も聞いてみたくないです? ねぇぇ!!!!!!!!
こちらからの中継は以上です!!!!!!