2023.03.10

みんなから愛されるデザインが生まれる理由 片岡美央さん


GOOD OLD MARKET店主・IIYU TEXTILEデザイナーの片岡美央さん

GOOD OLD MARKET店主・IIYU TEXTILEデザイナーの片岡美央さん

東京造形大学に在学中、フジヤマテキスタイルプロジェクトに参加したことがきっかけで、富士吉田との繋がりが生まれ、2019年から3年間富士吉田の地域おこし協力隊として活動をした片岡美央さん。2022年には、下吉田で「GOOD OLD MARKET」の店舗を構え、産地の発信や商品の販売を行いながら、ふるさと納税の販促物などのデザインも担当しています。

フジヤマテキスタイルプロジェクトで初めて訪れた富士吉田

一番最初に富士吉田を訪れたのは、東京造形大学でのフジヤマテキスタイルプロジェクトがきっかけだったそうです。

「東京造形大学の入学案内で、鈴木マサル先生がフジヤマテキスタイルプロジェクトの説明をしていて、富士吉田出身のフジファブリックの大ファンだったので、そこで造形大への興味が1ポイント入っちゃいました!(笑)そう思うと、富士吉田自体の存在はかなり前から知っていたような気がします。」

そして、プロジェクトでコラボしたのは「光織物」さん。

初対面での一言が「うどん食べるぞ〜」だったそうで、美央さん曰く「これが、うどんコミュニケーション」なのだそう!(笑)

コロナ禍で学生が機屋さんのもとへ行く機会はほぼ0に等しくなっていますが、当時は行かないと打ち合わせができなかったため、大学と富士吉田を行き来する毎日。機屋さんから毎回ご飯をご馳走になる子もいれば、娘のように可愛がってもらった子もいたのだとか!

美央さんは、「一緒に密にやってるからこそクオリティも追求できたし、機屋さん自身もやりがいがあったんじゃないかなと思う。」と、当時を振り返ります。

そして美央さんがプロジェクトに参加したその年は、ちょうどフジヤマテキスタイルプロジェクトが10周年を迎え、同年に開催された第3回ハタフェスにて大々的な展示が行われました。

「機屋さんかうどん屋さんにしか行ったことがなかったから、ハタフェスに来て、若い人とかお祭りとか『こういうの富士吉田でもやってるんだ〜』って思いました。出店側として出ることに憧れている部分もあったから『これからも携われたらいいな〜』っていう気持ちはあったかもしれないな〜と思います。」

それから4年後、美央さんは富士吉田にお店を構え、ハタフェスにも出店。ワークショップは事前予約が埋まるほどの人気でした。

IIYU TEXTILE誕生までの道のり

現在、美央さんは「IIYU TEXTILE」という銭湯をモチーフにした織物グッズのデザイナーとしても活躍されています。そんなIIYU TEXTILEは、まさにフジヤマテキスタイルプロジェクトで生まれました。

当時、プロジェクトが10周年という節目を迎えることもあり、参加を希望する人は、「プロジェクトでやってみたいこと」を先生にプレゼンテーションしたそうです。

「参加すると言っても、大学ではプリントテキスタイルしかやってこなかったので、織物のことをなにも知らなかったんです(笑)東京で行われた銭湯のイベントで音楽ライブをやったり、銭湯グッズを売っているイベントを知ってたこともあって、銭湯のキャッチーでレトロな感じがかわいい部分と、織物が繋がるような気がしました。なので、『銭湯をモチーフにしたテキスタイルをやりたいです』っていうことをプレゼンの中でお話しました。」

コラボが決まった光織物さんに、銭湯を選んだ理由やラフの絵を共有して、柄を試織してもらう。そんなやりとりを続ける中で、美央さんは織物の感覚を掴めずに色やデザインで悩むことが多かったそう。

デザインも、銭湯のさまざまなシーンを一つのテキスタイルに落とし込むというアイディアから、鈴木マサル先生との相談を重ね、現在のモザイクタイル柄へ路線変更。実は最初「『銭湯らしさ』が強調されすぎてしまうのでは」と避けていたモザイクタイル柄。今では大人気の柄ですが、試行錯誤の末生まれたデザインだったそうです。

ただ、悩みながら進めていたからこそ、納得のいくデザインができあがったときの喜びはひとしおだったそうで…

「タイル生地をつくるとき、蛍光の白糸で織ってみたら、光織物の琢也さんと2人で『これいいじゃん〜!』ってなって。その生地ができたときは、帰りのバスの中で生地をニヤニヤしながら見つめちゃいました〜(笑)」

こうして生地とデザインの方向性が見えたとき、琢也さんから「ブランドにしてみたらどう?」という提案があり、IIYU TEXTILEがついに誕生!

美央さんは当時のことを振り返り「『自分のアイデアややりたいことを、受け止めて応えてくれる大人たち』が周囲にいたこと、できることを一緒に模索してくれたこと」のありがたさを実感しているそうです。

「織物の知識がなかったからこそ、柔軟に動けた部分はあったかもしれないけど、常にマサル先生や光織物の琢也さん・千草さんに相談に乗ってもらっていたからできたし、本当に一緒に作っていった感じでした。」

美央さんは、プロジェクトを進めながら「織物」を理解していき、周囲の人と一緒に「IIYU TEXTILE」というブランドを誕生させました。

気づいたら地域おこし協力隊に!

大学卒業後、大学院に進んだ美央さんはプリントに注力した制作活動を行っていました。

「(大学院での制作が)めっちゃ楽しくて。自分が表現したいと思ってたことがどんどん作れて。本当に楽しかったから、(卒業後は)『作るのやりたくない』って思っていました。やりきった感があって(笑)」

生地をずっと作っていたから、今度は生地が使われていく段階を見てみたいなと思っていて。あわよくば、いつか自分の作った生地が使われている宿をやりたいなと思って、地方の民泊や宿とかの求人を探していました。

そんな夢を抱いていた美央さんは、フジヤマテキスタイルプロジェクトの展示の際に宿泊したSaruya Hostelを思い出し、富士吉田で働くことも視野に入れていたとき、ちょうど東京造形大学の先生でハタ印総合ディレクターの高須賀活良さんに勧められたこともあり、東京で開催された繊維産業の説明会にも参加しました。

そのとき偶然出会ったのが、ふじよしだ定住促進センタースタッフ(当時)の赤松さん。

「プロジェクトで銭湯のグッズ作ってた子だよね?覚えてるよ!」という会話から、「今度富士吉田においで」というお話に。

この出会いが、美央さんの未来を大きく動かしたのだそうです。

お誘いを受けて富士吉田に行った美央さんに、赤松さんから「地域おこし協力隊にならない?」というお話が。

「正直なところ、何をやるのかわからなかったけど、赤松さんの話を聞きながら、やりたいこともいっぱいあるしとは思っていて。でもその日に連れていってもらった会議で、いろんな人に『この子協力隊になったので』って紹介してくれて、気づいたら『あ、協力隊になるんだ〜』って思いました(笑)」

気づいたら協力隊になっていた!と話す美央さんですが、Saruya Hostelを思い出したり、赤松さんと再会したり…美央さんはどこか富士吉田と(切っても切れない)ご縁があるんじゃないかと感じざるを得ない!そんなお話でした。

赤松さんと麗さんの存在

-東京生まれ・東京育ちの美央さん。急に協力隊になって、富士吉田に住むことに不安はなかったんですか?

「やっぱり決まった後、なんか悲しくなっちゃって(笑)東京の友達に会うと泣きそうになったりして『あ、会えなくなるじゃん』ってあとから思って。でも富士吉田には赤松さんや若い人がいっぱいいるって知ってたし、麗さんをはじめとする定住促進センターのみなさんのサポートが温かかったから。赤松さんと麗さんがすごく心強かったから、そこまで生活の不安とかは感じなかったかな。」

美央さんのなかで、協力隊になること・富士吉田に来ることへの決め手は、赤松さんと麗さんの存在が一番大きかったことが言葉の端々から伝わってきました。

協力隊1年目に立ち上げたGOOD OLD MARKET

2022年5月にオープンした「GOOD OLD MARKET」は、もともとは協力隊1年目に立ち上げたブランドでした。

-協力隊1年目でGOOD OLD MARKETを立ち上げたのにはきっかけがあったのですか?

「結局、作ることしかできないから、ものづくりや思ったことを富士吉田に還元できるやり方は、お店という存在を作ることだったのかな。『織物を貼り付けたTシャツとか富士山柄のTシャツとか作りたい!』と思ってたし、協力隊1ヶ月目とかで、あのMt. Fujiパーカーを作ったり。つくると買ってくれたり、みんなが褒めてくれるから嬉しかったですね〜。」

美央さんが「つくりたい」という思いを届けられる場所として誕生した「GOOD OLD MARKET」。

今はある意味形を変えて、美央さんの拠点になっていますが「富士吉田に還元できること」を大切にする気持ちは変わっていないようです。

Mt.FUJIパーカーは美央さんがひとつひとつシルクスクリーンをしてつくりあげています。

コロナ禍と共に始まった協力隊2年目

協力隊2年目は、まさに新型コロナウイルスが流行し始めた年。コロナ禍での活動は、動き方が難しく、協力隊2年目の最初はオンラインストアを作ったり、市内に売り込みに行くことをメインに行っていたそう。

「社会的に閉鎖的だし、何かすれば逆にみんなネガティブで、ニュースもSNSも荒れていっている状況がすごく嫌だった」と、美央さんのなかでもコロナ禍や今後の活動に対しての不安感が沸々とわきあがっていました。

そんなときに、現在ふるさと納税の返礼品になっている「やますい」のコンセプト制作やパッケージデザインの依頼が飛び込んできたそうです。

「協力隊になるとき、こういったデザインをメインでやるつもりはなかったけど、やっぱり制作すると、リアクションをもらえたりする。それに、富士吉田はデザインをする余白がありすぎて。ふるさと納税の販促物もパッケージもいろいろ出てきて、余白だらけ。私にできるなら手伝いたいって思うし、商品自体がよくなると、依頼者自身もきっと仕事が楽しくなるし、もっと売り込みたいってなる。そういう『仕事を楽しくしてほしい』を目指してやってきたかなと思います。」

こうして2年目は、ふるさと納税関係のデザインを担当するようになったり、富士山の日の新聞広告を制作するというお仕事も。

今では、ふるさと納税の返礼品ダンボールやノベルティグッズは美央さんがメインで担当。

コロナ禍で始まった2年目の活動が、今の美央さんの「デザイン制作」の基盤になったのかもしれません。

デザインを担当した山水

「つくることの意義」を見つめ直した協力隊3年目

-3年目の活動は、今振り返るといかがでしたか?

「デザインはたくさんやらせていただいても、活動的に動けなかったから、ちょっとこう落ち込む部分はあったかな。だから楽しかった!っていう記憶があんまりないんです。」

「2年目の終わりで、商品を作る意味がなくなっちゃった気がして、制作したい気持ちはあるけど、作ったところで売ることができない。でも、『あ、売ることが目的になってるんだな』って3年目に気づいて、それって結構自分の中で『作ることの意義』が、今までは表現するために作ってたのに、売ることが目的になってたのがすごい嫌だなって思って。そこから富士吉田に住んでるからこそ、もっと自分の感じることを表現すればいいんだ〜って思えて、そこでやっと楽になって。そこから結構自分がやりたいことができるようになっていった気がします。」

このお話を聞いて、いつも美央さんのつくるものに宿っている「富士吉田への愛」と「溢れ出すわくわく感」の正体は、これなんだ!と気づけたような感覚になりました。

美央さんが「売ることを目的とせず、富士吉田で感じたままを表現するためにつくっている」からこそ、美央さんのデザインを受け取った私たちは、いつも「あったかい」という気持ちが一緒に湧き上がってくるのだと思います。

協力隊になったから気づけたことと出会えた人

-協力隊をやってよかったと思うことを教えて下さい。

「協力隊をやってなかったら、デザインやものづくりに関わってなかったと思うし、こんな未来になると思ってなかった(笑)何がそうさせたのかわからないけど、いろんな人との繋がりを持てたことがとてもよかったです。」

-たしかに、最初は「つくることはやりたくない」と思っていたんですもんね!

「もともと自分がやりたいことが具体的にあるわけじゃないけど、ものをつくることが好きで、高校の時もデザイン系の学校に行ってみたりとか、大学はテキスタイルを学んでみたりとか、感覚的な部分で『ものづくりをしていきたい』っていう気持ちがあって。協力隊ってすごくそれを自由にやらせてくれる場だし、自分らしさを尊重してくれることがすごい自分の性格にハマっていたのかなと思っています。」

そして、協力隊3年間、周囲の人に支えられ続けたという美央さん。

「今関わってくれている人たちがみんな個性豊かで、キャラクターみたいで、本当にその人たちといる時間が楽しい。多分、片岡さん富士吉田で楽しいことしかしてないねって思われてると思います(笑)でも、たしかに自分が楽しそうにしている発信を常にするよう心がけてた気がします。」

「私自身、人が好きじゃなかったんですけど、なんかすごい人間に対する考えが変わったな〜っていうのはすごい感じています。周りの人がすごい個性が強いまま生きてるから(笑)そして仕事に対して楽しそうだしすごい熱心な人たちがいること。あと私を受け入れてくれていることがすごく…好きだな〜って思います。」

美央さんのなかで、自分自身が表現したいことを形にすること、関わる人と「楽しく」過ごすこと、その大切さに気づけた3年間だったのかもしれません。

GOOD OLD MARKETという店舗に対しての考え

協力隊卒業後にお店を構えた美央さん。順風満帆のように見えるかもしれませんが、美央さんのなかではさまざまな葛藤を抱えていました。

-GOOD OLD MARKETを店舗として構えた理由は何だったのでしょうか?

「協力隊の終着点でもあり、拠点になる場所がほしいと思っていました。下吉田付近に織物を買える場所がなかったから、そういう場所を作りたいなって思っていたし、『ないよりはいいかな』って思っていて、そこにお店があるっていうのを知ってもらえるだけありがたい、ぐらいがちょうどいいって私は思っています。」

お客さんが来たときにも、売り込むよりも「案内所」のような役割を担いたいと「富士吉田って織物の産地なんですよ〜」というお話をするようにしているという美央さん。

やはり美央さんのなかで重視しているのは、常に「売ること」ではなく「富士吉田にいる自分ができること/やりたいこと」。

「お店っていう形が今正解なのかちょっとわからなくて。やっぱり『売るため』というか、すごく商売をしている状態は精神面的には健やかじゃないなって思っていて、本当は映画館で映画を観てからグッズを買うような感覚が一番理想的で、持って帰った後に思い出してもらえるようなものになればいいなと。いつかそれになりたい!と思っています。」

-今のお店の形と自分のなかでの理想形のバランスが難しいですね…

「そうですね。でも健やかでありたいって思わせるのはきっと富士吉田ならではだと思っていて。依頼されたことをしっかりやるのがお仕事でもあるはずだけど、富士吉田の人って富士吉田らしく生きている気がするし、私自身そこを尊敬しているところがあります。」

織物産地に住んでいるからこそできることがしたい

富士吉田での約3年間、自分自身の気持ちを大切にしながら、ブランドやものづくりに取り組んできた美央さんに、これからの目標を伺いました。

「やっぱり恩返しがしたいなっていう気持ちはあるけど、自分自身ももっとものづくりをちゃんとやりたいなって思っているし、クリエイターとしての幅が増えれば、富士吉田に興味をもってもらえるきっかけにもなれるなって思っています。だから、自分自身でつくる活動をもっとちゃんとやっていこう!と思ってます。依頼されたお仕事はもちろんだけど、制作活動はもっとしたいなって思っていて、今年はオリジナル生地をつくりたいし、もっと織物産地に住んでいるからできることをやっていかないとと思ってます。」

美央さんがこれまでに形にしてきたものは、富士吉田の中にたくさんあるけれど、そのどれもが「デザインの向こう側にいる誰かのために」美央さんがつくったもの。だからこそ、富士吉田のまちと人と一緒に生きている気がします。

自分の表現したいことを形にする楽しさと大切さ、どちらも知っている美央さんの視点で切り取られる富士吉田を、これからもずっと楽しみにしています。


この記事を書いた人



  • 小林真子

    山梨県出身。就職活動中に富士吉田が織物産地だと知る。その後出会いが重なり、大学卒業と同時に合同会社OULOに参画。産地の生地を使ったものづくりを目標に活動中。

他のCOLUMN

もっと見る >

こちらもおすすめ

もっと見る >

ハタオリマチの織物でできたノートブック

ハタオリマチの織物でできたノートブック

富士吉田市・西桂町までのアクセス

  • 東京から電車
    富士吉田市へ
    新宿駅-(JR中央本線1時間40分、特急60分)-大月駅-(富士急行線50分)-「富士山駅」「月江寺駅」「下吉田駅」
    西桂町へ
    新宿駅-(JR中央本線1時間40分、特急60分)-大月駅-(富士急行線35分)-「三つ峠駅」

    東京から高速バス
    富士吉田市へ
    バスタ新宿-(中央高速バス【新宿~富士五湖線】1時間45分)-「中央道下吉田バス停」または「富士山駅バス停」
    西桂町へ
    バスタ新宿-(中央高速バス【新宿~富士五湖線】1時間40分)-「中央道西桂バス停」

    東京から車
    富士吉田市へ
    東京-(中央自動車道90分)-河口湖IC
    東京-(東名高速道路90分)-御殿場IC-(国道138号山中湖方面20分)須走IC(東富士五湖道路25分)-富士吉田IC
    西桂町へ
    東京-(中央自動車道80分)-都留IC-国道139号線富士吉田方面20分