2024.02.28

「地域に貢献できる会社へ」移住8年目、富士吉田を支えるマルチプレーヤー。杉原悠太さん


今回は、山梨県富士吉田市で行われている国内唯一の布の芸術祭「FUJI TEXTILE WEEK」の副事務局長としても活躍するシーダ株式会社の代表、杉原悠太さんにお話を伺いました。他にも、デザインやプロジェクトマネジメントなどの仕事で富士吉田市の魅力向上に貢献している杉原さんも、実は移住者です。

東京都出身の杉原さんがどうして富士吉田市へ移住することになったのか。

移住して8年目となる2024年「少しずつ環境が整ってきた」という杉原さんに、これからやっていきたいことやまちへの思いなどを伺いました。

大学卒業後、会社勤めをせずフリーランスに。そして海外での生活

大学では機械工学を専攻。在学中にダブルスクールで芸術表現やデザインを学び、卒業後は、フリーランスでデザインやプログラミングなどの仕事をしながら、20代はスリランカや韓国などアジア圏内で暮らしていたという杉原さん。

「英語を学びたかったけど、学べる環境がなかったので海外に行ったほうが早いなと。スリランカは英語圏だから勉強になると言われたけれど、自分が暮らした街では実際に英語を話す人があまりいなくて、 現地でコミュニケーションを取るためにシンハラ語という公用語を勉強することになりました。」

アルバイト先の方からの紹介で、スリランカに行ったそうですが、最初の動機は「なかなか行く機会がなさそうだし、せっかくのご縁だから若いうちに行ってみよう。」という程度の気持ちだったそうです。

しかし、このことがきっかけで一時帰国をした後に「他にも色々なアジア圏を見てみたい。」と思った杉原さんが次に選んだのが韓国。その後は韓国を中心にアジアの国々で生活をしていたそうです。

お世話になっていた村の縫製屋さん。ムスリムの集落でシャルワーレ(サルエル)を仕立てる家族だった。

スリランカ北西部州にある交通の拠点都市クルネーガラ。街を出入りする数十台のバスのクラクション、それに負けじと飛び交う人々の声。

スリランカ北西部州にある交通の拠点都市クルネーガラ。街を出入りする数十台のバスのクラクション、それに負けじと飛び交う人々の声。

ソウルの問屋街の活気にアジアで暮らす魅力を感じた。

 

富士吉田市へ来たのはたまたま

日本に戻るつもりはなかったという杉原さんが、ひょんなことから富士吉田市へ移住することに。

「当初、日本に戻る気はなかったのだけれど、海外に住む中で今の「日本の良さ」を改めて感じるために、衝動的に日本に帰ってみようと思っていたところ、たまたま友人に『山梨への移住はどう?』と勧められ、富士吉田に行きました。富士吉田市を訪れたその日はとてもあったかくて、まだ富士山に雪が残っていて桜が咲いている一番いい時期で、忠霊塔(新倉山浅間公園)に登っちゃったりして、ズドンと心に響くものがあって。こんな素敵なまちがあるんだ、って驚きました。」

新倉山浅間公園:春には五重塔と桜越しの富士山が見えるという日本を象徴する風景を楽しめる富士吉田市を代表する観光スポット

今や世界各地の多くの人々を魅了する富士吉田市の代表的な景色に杉原さんも感銘を受けたそうです。

「東東京の人が八王子に住むくらいだと思う」

長く海外生活をしてきた杉原さんが移住先として選んだのがここ富士吉田市。すでに富士吉田市で活動している人によるコミュニティの存在や都心へ気軽に行ける距離感、そして行政の充実した制度などが杉原さんの移住へのハードルを下げることに繋がったそうです。

「他県への移住も考えたけど、富士吉田市には空き家バンクという制度もあって、家も紹介してくれたからそのまま住めるな、と。しかもすでに地域おこし協力隊として活動後、富士吉田市に残ってまちづくりに関わっていた赤松くんや定住促進センターの麗ちゃんみたいな若い人たち、先にこの地へ移住してきた人たちのコミュニティがあり、人の少ない場所で自分の活動をするよりも先にあるコミュニティに乗っかりたいなと思いました。」

「富士吉田市も補助金を出していて、僕の時は家賃補助と交通費があって、東京に仕事がある人は月1万円分の交通費を補助してくれたり、家賃を補助してくれました。家も自分が探さなくても候補があってアテンドしてもらえて、高速バスも当時は1400円くらいで東京に行けたし、今みたいに混んでない。自分の車を持ってからは尚更便利だし、富士吉田市への移住のハードルは低かったですね。大袈裟に言うと、東東京の人が八王子に住むくらいだと思います(笑)。」

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当初「まちづくり」というワードは自分の中になかった

富士吉田市に来てからも韓国や東京などの仕事が中心で、富士吉田市との仕事とは縁がなく、まちとの関わりがあまりなかったという杉原さん。初年度は韓国にいたころ趣味でやっていたアーティスト・イン・レジデンスを日本でもやりたいと考え、韓国やアジアのアーティストを日本に呼ぶイベントを開催していたそう。まちづくりとは離れたところで活動していた杉原さんがどのようなきっかけでまちに関わるようになったのでしょう。

「コロナ前くらいから定住促進センターからお仕事をもらうようになり、コロナの時に富士吉田市の七福来券やエール食券などを作ったことがきっかけで、まちのデザインの仕事やまちづくりについて知りました。これまでクライアントワークを通して『お客さんのためのデザイン』を考えてきたけれど、まちづくりのデザインの仕事を経験して『自分が暮らす街のためにデザインや企画を考える』ということに魅力を感じて、もっとここでの仕事をしようという意識に変わりました。」

富士吉田市での仕事を増やしつつも、海外や県外の仕事も行っているシーダ株式会社。

「富士吉田市での仕事をやりつつ、他にも様々な仕事に取り組むのは、どれかに偏ると細かい都合だけでものを見るようになってしまうからです。地方にいるからこそアンテナを張り巡らせたり、展示を見に行ったり、イベントに行ったりというふうにしています。何も知らないとできないですからね。」

地方を拠点にしているからこそ、自分で積極的に行動して吸収したことがまちづくりに活かされています。

シーダ株式会社で関わった七福来券

活動する中で関わりが増えてきたハタオリの仕事

同じく移住者であり、SARUYA HOSTELを運営する八木さんの紹介で、舟久保織物のWEBページを作ったことがきっかけとなりハタオリの存在を知ったという杉原さん。

「撚糸や染色、整理加工などハタオリの工程で重要な役割を担う工程を色々と見せてもらって、すごいなと。まちのなかでこんなモノづくりがある、しかも一貫して完結している。織物はよく知らなかったけど、ハタ印やハタフェスを横目で見ていたのでこれをこの人たちがやっているんだなと自分なりに理解できました。」

赤松さんとはまちづくりデザインの仕事、八木さんとはアーティストレジデンスや機屋さんのウェブサイトの制作、繊維にまつわるイベントの企画を行う装いの庭の藤枝さんとは繊維事業の廃材活用プロジェクトB−TAN MARKETなど、富士吉田市で活躍する移住者の方々と一緒に富士吉田市の仕事に関わるようになったそう。

いろんな人と関わることでこのまちに愛着を持ち、この地での仕事の向き合い方がわかってきたと杉原さんはいいます。

コミュニケーションの中から良いものを

“コミュニケーションが大切” 杉原さんは富士吉田市で仕事をする上で、このように感じているのだそう。決められたプロセスではなく、コミュニケーションの中から様々なアイデアやデザインが生まれているそうです。

「自分が一緒に働いている人たちは移住者が多いのですが、いい意味で働き方がラフだと思います。そのラフさは柔軟性のことで、一度決めたことに対してそれが間違いだと気がついたタイミングで 軌道修正ができて、ものづくりをしっかり詰めていくことができます。ただ、そのためには 密なコミュニケーションが必要です。それが、同じ街に住んでいるのですぐに会って話し合うこと ができる。そんなラフだけど密な関係を築ける環境がとても良いと思っています。

私自身も普段仕事をしていて感じるコミュニケーションの大切さ。富士吉田市にはそんな暖かく気張らないコミュニケーションから生まれた素敵なモノやコトが溢れています。

シーダ株式会社で手がけたチラシやHP

まちの力になりたいと思うと、会社の作り方が変わっていく

1人でスタートしたシーダ株式会社。今は地域の人との繋がりで自然と集まった仲間たちがいます。

「会社も最初は人を増やす予定ではなかったけれど、まちづくりやハタオリを知り、自分の仕事がもっとそういうところにリンクしていったらいいなと思うようになっていって、みんなで成長していこう、出来ることを増やしていこうというスタンスになりました。地方移住というハードルとクリエイティブの会社で働きたいという2つの条件に合う人がいたらなるべく採用して、頑張って仕事を取ってきてイベントにはみんなで参加して、というふうに会社を作りたいと思っています。」と語る杉原さん。

「地域で活動していて、現地にマンパワーが必要だなと思ったから、シーダはそうでありたい。そしてスタッフ全員で総合力を身につけたいって思っています。」

FUJI TEXTILE WEEKでは、普段会社の中では工作仕事が苦手なスタッフが得意の語学を活かして、海外のアーティストと一緒にコミュニケーションをとりながら、いつのまにか展示を完成させていたという、まさにスタッフの総合力アップを感じさせるエピソードを教えてくれました。

古民家を改装した素敵なオフィス兼カフェには、シーダで企画されたイベントのポスターたちが

このまちで活動するうえで意識していること

このまちでの関わりで意識していることは“適材適所”と語る杉原さん。

「このまちには色々なプレーヤーがいて、せっかく集まっているのだから、なるべくお互いのいいところだけをみてやっていこうと思っています。大きなプロジェクトでは、お互いを尊重して円滑に進むように意識しているかな。プロジェクトを押し進める役割も大切だけど、みんながうまくできるように、一つの力にする役回りができたらいいなと思っています。」

メンバーを思いやりながらプロジェクトを進められるのは、フリーランス時代に様々なメンバーと仕事をしてきた杉原さんの経験が活かされているような気がしました。

今後富士吉田市でやってみたいことは?

移住して8年目、少しずつ環境が整ってきたというシーダ株式会社。クリエイティブの仕事、海外との交流、コミュニティの活動など、この3つを主軸に会社として成長していきたいそうです。

「地域に貢献できる会社を作りたいというのが一番大きいかな。街の活性化につながる活動に参加する、FUJI TEXTILE WEEKやB-TAN MARKETなどのイベントもそうだけど『どんど焼き』みたいな地域のお祭りのようなものを引き継いで、街に貢献できる企業になりたいというのが会社としての大きな目標。もうひとつはインターナショナルな色を地域に出したい。自分がアジアのいろいろなところに居た経験から、アジアの人を呼んだり、レジデンスの活動がインターナショナルな色を出すことに繋がるからそれをやりたい。あとはKURA HOUSEという空間をコミュニティスペースにしたいですね。富士吉田市の会社のスタッフたちがオフの時に気軽に立ち寄って10分でも立ち話して帰っていくような場所。週末に暇だからちょっと顔出すか、とか仕事帰りにふらっと寄って少し話して、不安やストレスを解消して帰るみたいな空間やコミュニティをしっかり作りたいですね。」

シーダが運営する蔵の台所では多国籍な美味しいランチを楽しめます

知らない土地へと踏み込んでいける大胆さと周りの環境に柔軟に対応する姿が印象的な杉原さん。グラフィックデザインやWEBデザイン、プロジェクトマネージャーなど多彩な能力を活かし、地域で活躍する存在へ。このまちを通して出会った人々が、それぞれの強みを出し合い、協力しあえる関係を構築しているからこそ、ここ富士吉田で生まれるモノやイベントには愛を感じるのかもしれません。

たまたま来た富士吉田市。

いつの間にかこのまちや地域の人々にとって心強い存在になっている杉原さん、そしてシーダ株式会社のこれからの活動がとっても楽しみになりました。


この記事を書いた人



  • 蛭間 小都

    大学時代に「ヤマナシハタオリトラベル」のPOPUPに行ったことがきっかけで地域で働くことに興味を持つ。Uターン就職し、現在合同会社OULOのスタッフとして活動中。


  • 木村 早紀

    千葉県出身。大学在学中に織物と出会い、その奥深さに衝撃を受ける。東京の機屋を経て富士吉田へ。富士吉田は寒いけれど産地に関わる人々のあたたかさを実感しつつ、その魅力を伝えられる活動を目指してゆっくり進んでいる。

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富士吉田市・西桂町までのアクセス

  • 東京から電車
    富士吉田市へ
    新宿駅-(JR中央本線1時間40分、特急60分)-大月駅-(富士急行線50分)-「富士山駅」「月江寺駅」「下吉田駅」
    西桂町へ
    新宿駅-(JR中央本線1時間40分、特急60分)-大月駅-(富士急行線35分)-「三つ峠駅」

    東京から高速バス
    富士吉田市へ
    バスタ新宿-(中央高速バス【新宿~富士五湖線】1時間45分)-「中央道下吉田バス停」または「富士山駅バス停」
    西桂町へ
    バスタ新宿-(中央高速バス【新宿~富士五湖線】1時間40分)-「中央道西桂バス停」

    東京から車
    富士吉田市へ
    東京-(中央自動車道90分)-河口湖IC
    東京-(東名高速道路90分)-御殿場IC-(国道138号山中湖方面20分)須走IC(東富士五湖道路25分)-富士吉田IC
    西桂町へ
    東京-(中央自動車道80分)-都留IC-国道139号線富士吉田方面20分