富士吉田出身、現在スウェーデン在住ケイゴマンのコラムです。
股関節にまつわるエトセトラ
みんなあけまして、おめでとう。
ちょっと遅いよね。
スウェーデンでは、正月気分も早々に一月三日から授業がはじまっていて、
全然正月気分に浸れなかったよ。しかも、一月末に今までで一番大きな課題があって、
ずっと師走のまんまここまで駆け抜けた気分でした。
本当は、大晦日とか、家族で団らんしたり、おばーちゃんちとかいって、
親戚でグダグダ飲むのが最高にスキなのにな。
その楽しみに、ちょっと前から変化が起きたんだけど。
「股関節だけは柔らかくしとけ」
うちのおばーちゃんがよくいってた。冗談みたいに聞こえるんだけど、遺言みたいなモノになっちゃったかな。一昨年に亡くなってしまったからね。
おばーちゃんは、生まれも育ちも富士吉田。下浅間神社のすぐ近くに住んでて。
兄弟が本当に仲良くって。正確には忘れちゃったけど、10人以上の兄弟だったと思う。今ではめずらしいよね。
あるときに、家に遊びにいったら、90歳オーバーの姉妹四人が集まって女子会してたもんね。ほっこりした。
女子会は永遠なのだ。
努力家で、英語を覚えたいといって日記を書いていた。
あまりに熱心に書いていたので、とある日おばちゃんが覗くと、全部ローマ字で書いてあったって笑
ローマ字が英語だと思っているところがかわいかったね。
NintendoDSの漢字検定トレーニングをやりすぎて、目に内出血をおったり。
80過ぎてから、水泳をはじめて1日に1キロぐらい泳いでいたり。
(水泳がきっかけで股関節が柔らかくなって、そこからすんごく調子がよかったから、必ずストレッチをしろと口酸っぱく言われていたのだ。)
一度、戦争でどこかに働きに出ていたっていうことを聞いた時があったけど。
それ以外は、ずっとこの街の変わりようをみていったと思う。
この街で、富士吉田で、人生を過ごしていったんだな。
僕はまちづくりに関わってきたので、街の変化が気になっていて。
一度だけおばーちゃんに戻れるならどこに戻りたい?って聞いたことがあった。
おばーちゃんは1960年とか1970年くらいがいいなぁっていってた。まちがすんごい活気づいてたんだって。
おばーちゃんの目はどこか澄んでるような感じだった。本町通りっていうメインの通りが人で溢れていたんだって。
織物を一回ガチャンと織れば一万円って言われてたガチャマン時代なんて自分には全然信じられないけど、経済の価値観とかって後付けで、その時を過ごしてる人にとっては当たり前な感覚がきっとあって。社会がなんか明るかったってときに戻りたいってことなんだろうか、自分が若かった頃に戻りたかったのか。今では答えはよくわからなくなってしまったけど。
「クレヨンしんちゃんの大人帝国の逆襲」では、大人たちは、みんな昭和をふりかえりたくってふりかえりたくって、「懐かしさ」に焦がれまくってたけどね笑(この話はまた。)
その時代を象徴するかのように、おばーちゃんちにも機織の工場があったんだよね。
こうじょうじゃなくて「こうば」っていう言い方がなんだかしっくりくる。
物心ついたときには動いてなかったけど、ねーちゃんといとこの格好の遊び場だったのよ。
でかい機械が何台もあって、自分には大きいおもちゃにみえて手動でいじったりしてた。かくれんぼなんかして、どこか触ったりするとまだオイルがくっついたり。
オイルと布が混じった独特の匂いが工場の中ってあったんだよ。
工場を抜けて、トイレに向かう手前の部屋の欄間に飾ってあった絵が異様に怖くて。
どうしてもそこが通れなかったり。
以前に機織ツアーで、久々に工場に入るタイミングがあって。
どこか懐かしい気持ちになったのだよね。
それっておばーちゃんちのこうばの匂いだったんだな。
匂いってすごいよね、いろんなことを想起させるよね。スウェーデンでは、冬の匂いは富士吉田と一緒だったよ。鼻の奥が透き通って、ピンとして、背筋を伸ばしてくれるような。寒い冬はイヤだけどさ、その分、本当に春に感謝するよね。
随分遠いところにきちゃったな。
34歳ガンバロウ。
おばーちゃん!
合掌