きっかけをくれた街への恩返し。赤松智志さん
富士山に限りなく近く、歴史ある織物のまち、山梨県富士吉田市。
そんな富士吉田市のために、まちづくりやコミュニティづくりなど様々な事業に取り組む赤松智志さんにお話を伺いました。
千葉県柏市出身、2013年から3年間富士吉田市の地域おこし協力隊として活動。協力隊卒業後は、任期中に開業した宿泊施設「hostel & salon SARUYA」を運営しながら、継続的に若い世代との交流や商店街の方々との関係性を深めていきました。その後、〈ふじよしだ定住促進センター〉のスタッフとしての活動を経て、現在は〈合同会社OULO〉を設立しました。
富士吉田市との出会い
大学の授業で日本のまちづくりを知った赤松さん。もともとは海外の土地に根付いた歴史の話が好きで、その視点が日本のローカルに向いていったのだそう。
「地域の見方やどういう視点で捉えるかに興味がありました。当時は全然日本のことを知らなかったから、その土地ならではの価値観や文化に触れることがとても面白かったんです。」
そんな赤松さんが富士吉田市と出会ったきっかけはなんだったのでしょうか。
「大学2年時に参加したゼミのフィールドワークがきっかけでした。他にも候補となる地域がいくつかあったけれど、その地域への通いやすさが重要だと思って富士吉田市を選びました。」
都心から約2時間で来ることができるため、アクセスの良さが人気の一つでもある富士吉田市。地域への通いやすさを考え富士吉田市に決めたそう。調査・研究をしていく中で、面白い地元の方、憧れるような大人たちに出会い、いつのまにかプライベートで遊びに行ったりするように。富士吉田市という存在は日を増すごとに赤松さんの中で確かに大きくなっていったようです。
「あの人たちのために」自然と顔が浮かんできた
「ゼミのプロジェクトが終わり、周りの友人たちが就職活動にシフトしていくなかで、自分もまちづくりや不動産に関わるような企業を調べたりしていました。だけどどこか腑に落ちない部分がありました。」と話す赤松さん。 そんなとき一冊の本と出会い、転機が訪れます。
「山崎亮さんの『コミュニティデザイン』という本を読んで、まちづくりって再開発とか大きいことじゃないなって、それは富士吉田市に関わっていたから思ったことで、自分の気持ちに素直になるんだったら、山崎さんの会社で勉強したいと思い大学を一年休学することを決めました。」
念願叶って、山崎亮さんの会社であるstudio-Lに長期インターンシップとして参画。さまざまな地域でまちづくりを学んで行くなかで「この事例は富士吉田市で活かせそうだな。」「あの人たちと一緒にできることはないかな。」と自然と富士吉田市の方々の顔が浮かんで、これからやりたいことを想像していったそうです。
その後、大学4年生として復学をするタイミングで、地域おこし協力隊という制度が富士吉田市にもできるから、やってみない?と富士吉田市役所の方などにお誘いを受け、2013年に地域おこし協力隊(以下:協力隊)として活動を開始することに。
街を楽しむタネにしたい
富士吉田市での生活が始まった赤松さんが協力隊として活動していた内容は、主に空き家の利活用。当時から空き家率がNo.1だった山梨県。富士吉田市でもやはり課題意識が大きかったようです。
「みんなで取り組みやすい課題ではあったと思います。ただ、かっこいい空き家のリノベーションということではなく、その場所をどう拓いていってどうにぎわいが生まれるか、を大事に取り組んでいました。」
「当時は若い世代が地域に関わる接点が無かったように思います。そういう人たちの声が少しでも街に表現されて欲しいと思ったし、そうじゃないとつまらないと思って積極的に若い世代の仲間を増やしながら、一緒に空き家探しやリノベーションに取り組んでいました。」
「空き家を街を楽しむタネにしたい。」
その活動は常に地域のコミュニティを尊重しながらも、輪を広げたいという気持ちがあったように感じます。協力隊の活動は仕事という感覚よりも、楽しみが広がっていくようにやっていた。と当時を振り返る赤松さん。その気持ちがまわりにも自然と伝わり、活動する仲間や近隣の方の協力が増えていったのだそうです。
広がる富士吉田市での活動
協力隊の最終年である2015年には、築100年近い物件を改装し〈hostel&salon SARUYA〉をオープン。※現在は〈SARUYA HOSTEL〉に名称変更。「観光客はもちろん、同世代の知人友人が来た時に、気軽に泊まれる場所や勧められる場所を作りたい」という思いから始まった〈SARUYA HOSTEL〉は、今では国籍や性別、年齢問わずたくさんの人々に利用されています。
空き家の利活用事業以外では、2015年からハタオリマチフェスティバルの企画運営に携わり、ハタオリマチ富士吉田の魅力を積極的に広めています。
「仕事とは関係なく、機屋さんに就職した同世代の友人などができたり、インターシップやハタフェスもあって。この街を面白くしたいと思った時に、ハタオリは自然と関わってくるし、とても興味深い歴史であり文化だと思います。」
その後、2022年に独立して〈合同会社OULO〉を設立。ふるさと納税のPR事業を中心にハタオリマチフェスティバルやFUJI TEXTILE WEEKなど、富士吉田市で開催するイベントの運営にも携わっています。
誰もが誇れる街へ
今後、富士吉田市でやりたいことを尋ねると「一番最初に浮かんだのは恩返し。」と、まっすぐに答えてくれました。
「あとは抽象的になってしまうけれど“悪口がない街”になってほしい。わかりやすく言ったら“誇れる街”って言葉になるのかもしれないけど、「富士山がある。」とか「めっちゃ水が美味しくてさ〜」とか「最近若い子が頑張ってて…」とか些細なことでもいいから、一言目にポジティブな言葉がでてきてほしい。」
たしかにそういう街って「他にどんな良いところがあるんだろう?」ってもっと知りたくなりますね。
「もちろん良いところだけではない。難しいこともあるなかでそれをあえて表だって言わずに、良い言葉を繋いでいくことで良い方向に向かうこともある。そういう町に関わりたいと思う人が増えていくと思う。」
「富士吉田市ってみんなが街のこと良く言うよね。」そんな印象が根付き、文化になっていく街。深く関わってきた赤松さんだからこそ、あらためて思うことなんだと感じました。
“まちづくり”の先に考えること
地方への移住やまちづくりの仕事が浸透してきた今、まちづくりに関わりたいと考える若者たちが増えてきました。そんな若者たちにアドバイスをいただきました。
「本来“まちづくり”って言葉は無く、概念でしかないと思う。何を通してそれに向き合っていくのか、その具体性を見つけていけるようにたくさん考えて、たくさん行動してほしい。」
まちづくりの先に考えていることが具体的だとより良いということ、自分の行動次第でその地域での暮らし・仕事の馴染み方を変えていけるということ。
「あとは変に期待しないこと(笑)」
まちづくりの事例が増えた中で、富士吉田をはじめ地方にいけば何かできるんじゃないかという期待感をもっている人も多い。もちろん思いがある人に対しては誠意をもって接してくれるけど、その思いを実らせることが難しいのも事実。
「本人が情熱を持つのはもちろん大切だけど、その情熱の向かう先が自分一人のためではなくて、誰かのためになるといいなと思う。頭におもい浮かぶ誰かのことをたくさん考えて、その人の思いに寄り添うことが大事。」
富士吉田市という街が特別なのでは無く、自分にとって、関わってくれる人たちにとってどんな特別な街にしていくか。
およそ10年の間にさまざまなかたちで富士吉田に関わってきた赤松さん。その活動の根底にはいつも富士吉田に暮らす人々の顔が浮かんでいたのではないでしょうか。
赤松さんの語った“誇れる街”が実現する未来は、そう遠くないのかもしれません。