機屋を自分で切り開く覚悟と楽しさ 舟久保織物/舟久保晴基さん
生まれ育った地元に関わりたい!という思いで、機屋さんへ就職した方がいます。舟久保織物に勤める、舟久保晴基さん。同じ苗字ですが、家族ではなくご近所さんというところがポイント。
家族経営の機屋さんに1人で飛び込みまだ3年目ではあるものの、職人としての顔だけでなく営業や広報としても日々活躍しています。
年々関わる人が減少している繊維の業界に対し「絶対まだまだ可能性がある!」と言い切る晴基さん。彼が見ているこれからの工場に対する視点には、ものづくりがもっと楽しくなるはずだ、と思える要素が詰まっていました。
地元の歴史や文化がずっと好きだった学生時代
「ちょっと珍しいかもだけど、ずっと地域の歴史とか文化が好きなんすよ」そんな話から取材はスタートしました。
「小学生の時に地元を探検してた思い出があるんです。地元の地域(明日見地区)には『おかたぶちこう』っていう伝統行事があるんですけど、それが面白くて。新婚の家に若者が突撃して暴れて、お布施をせびるんです。その代わりに無病息災とか子孫繁栄を願うっていう行事があるんだけど、トリッキーな行事でしょ?(笑)でもこういう行事にも積極的に参加したりしていました。」
「おかたぶちこう」のインパクトに話がそれそうになりますが、そんな地元への愛や地域への興味はずっと薄れず、大学も隣町の都留文科大学に進学。そこでは町の活性化などをリサーチしていたそうです。
東京での仕事、もやもや期を経て地場産業に出会う
友達もここにいる。出ていく理由がない。大学も近くにある。そんな環境で育った晴基さんが就職したのも、地元の会社。システムエンジニアとして勤務していました。しかし異動で東京への勤務が決まります。
東京での生活を通し、やはり生まれ育った環境の良さを再認識した晴基さん。「何か地元でできないか」と思っていたころ、地域おこし協力隊として富士吉田で活動していた高校の同級生、渡辺紀子さんと再会しました。これが人生の転機となります。
「機屋さんはどう?」
そう紀子さんに言われた晴基さん。「正直、地元だけど機屋さんのことは全然知らなくて。『機屋?!今でも残ってるの?!』ってびっくりしました(笑)でも、どうせなら周りと違うことをしたいし、ちょうど機屋さんでのインターン制度があるって聞いて、いくつかの織物工場を回ってみました。それで行きついたのが、舟久保織物だったんです。」
ハタオリマチでは「ハタオリマチルーキーズ」という機屋さんへのインターン制度があります。これは、家族経営などで雇用を頻繁に行わない工場と、織物工場に興味はあるけど自分にものづくりの現場が合っているかわからないと感じている就職希望の方をつなぐマッチング制度。毎年学生なども参加し、就職やその後の工場との関係づくりに繋がっています。
詳しくはこちら↓
https://you-fujiyoshida.jp/diary/frpc-news/1641
機屋はもっと可能性がある世界
全く経験も知識もない機屋さんで働くことに、不安は無かったのでしょうか。
「確かにもうあまり知られてない業界ではあるかもしれない。けれど、それでもこうやって工場が存続してるってことは、まだまだポテンシャルがある業界なんじゃないかとも思って。ハタ印があったりハタフェスがあって、町としても機織りを挙げていたので、そういう意味でも興味がありました。」
晴基さんにとって機織りの世界は、単なるものづくり業界ではなく、町とのかかわりしろ。今までの興味が、これからの未来へと繋がった瞬間だったのです。
そんな晴基さんは、繊維に関わる若手の会「いとへんの会」にも積極的に参加。「同じ世代が同じ分野で頑張って、会えることが嬉しい」と語ります。回りをひっぱり地元に根付く晴基さんの存在は、外から繊維に関わりにやってきた人にとって心強い存在です。
舟久保織物を「伝える」ため
舟久保織物は、伝統的な絣織物である「ほぐし織り」を継承し、傘生地を織る工場。代表の舟久保勝さんは糸の捺染(染め)から織るところまで一貫生産をするベテランの職人さんです。
師匠である勝さんと、弟子入りのようなカタチで織機と向き合っているのかと思いきや、入社後1年目の晴基さんは、織機に向き合うと同時に取り組んでいったのはオンラインショップの組み直しやウェブサイトのアレンジでした。
「最初から職人として入った感覚はないかも。むしろどうしたら商品が買いやすい名称になるかとか、魅力的な傘の写真の撮り方、掲載の仕方を研究してたことが多かったです。舟久保織物がつくる良いものを、どうもっと良いものとして伝えられるか、そっちをまずは頑張りました。」
こうして生まれたのが、晴基さんが企画した折り畳み傘「シーサス」。経糸と緯糸のシャンブレー(色の移り変わり)が美しいこの傘に、あえてシャンブレーという言葉を使わず、「海をさす」爽やかなアイテムとして販売。ふるさと納税で人気の商品になりました。
素晴らしい技術や手間暇が、必ずしも商品の魅力として無言で伝わるかといったら、そうではないのも事実。
作った商品を販売するこまでが工場の役割でもあるなら、購入する人が「欲しい!」と思うコトバや魅力ポイントは何かを考えることも、作ることと同じくらい大切なこと。
作る側から入っていない晴基さんだからこそ、購入者側からの視点で工場を見ることができるのかもしれません。こうした晴基さんの取り組みにより、オンラインショップの売上げやふるさと納税の売上げは着実に伸びていったそうです。
自分の頑張り次第で活躍できる、その頑張りが物で残る世界
オンラインショップのリニューアルや運営は、舟久保織物としては新しい取り組みでした。こうした仕事について、「代表の勝さんが柔軟に役割を交代しながら、自分がしたいことを任せてくれる。そういう環境が本当に大きいです。」と語る晴基さん。
そんな柔軟な舟久保織物に入って一番に考えたことは、比較的自由な環境下で自分がどう頑張っていくか、ということ。そして「頑張り次第でどうにでも活躍できるのでは?」と思うようになったきっかけが、2年目のときに担当した催事での経験でした。
「傘の展示会で出会った高島屋の方との繋がりで、舟久保織物ポップアップショップを高島屋でやることになったんです。企画から当日の販売まで、全て自分で担当したことが大きかった。思ったより売ることができて、テンションも上がりました!」
頑張った分がダイレクトに物やお客さんの反応で返ってくるこの世界。その中を全力で楽しんで取り組む姿は、これからものづくりの工場や小規模な会社に入る若者にとって、とても重要な姿勢だと感じました。
売ることを考えた商品作りと技術継承は続く
舟久保織物として今年で3年目。今後はさらに、売るところまで考えた商品づくりを目指したいとのこと。大切な技術を守る役割と、舟久保織物が続いていくための広報と販売。この二つをこれからも、持ち前の突発力と地域への愛で取り組んでいきます。
舟久保織物
〒403-0002 山梨県富士吉田市小明見2丁目20−18
https://funakuboorimono.com/
オンラインショップ
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