東京造形大学デザイン学科テキスタイル専攻の元教授 大橋 正芳さんが注目する、全国のテキスタイルをはじめとした展示紹介コラムです。「テキスタイル老師ぶらり旅」略して「テキぶら」どうぞお楽しみください。

2018.06.28

葛布の里① 日坂宿


川坂屋の襖

東海道53次の1つ、日坂(にっさか)宿。
メジャーではないかもしれませんが、今も当時の宿場の面影を残す建物が残されていて雰囲気があります。その宿の1つだった「川坂屋」の襖に葛布が使われていて立派です。

川坂屋は格の高い武士や公家が宿泊した脇本陣格の宿で、明治以降も要人の宿泊に使われていたそうです。現在の建物は嘉永5(1852)年の消失後に江戸の大工を呼んで建て替えられたものだということで、格子の建具も見事ですが、葛布が使われた建具もあり、そちらに目をひかれました。

上段の間と呼ばれる一室には明治新政府の高官、山岡鉄舟の筆跡が残されていて、葛布を使った襖に表装されています。葛布の色は焼けて表面にはササクレが見えますが、鉄舟の書が明治19(1886)年に書かれたものだそうですので、その後表装されて一度も修理されていないとすると、葛布は明治後半のものと推測することができます。

別の部屋には錠のついた戸袋があり、そこも葛布です。襖より新しい感じがします。

川坂屋の葛布には、おそらく地元産の葛布が使われたと思われます。日坂は、葛布の産地だったのです。

日坂宿

旧東海道をぶらぶら歩いてお江戸日本橋から23番目の宿場が島田宿で、その先に「越すに越されぬ大井川」があります。今は、旧国道1号線の鉄橋1,026mを普通に歩い15分。新幹線なら数秒・・・川を渡った対岸が金谷で、島田とともに川越を待つ旅人で賑わった宿場です。金谷から「小夜の中山(さよのなかやま)」という難所に数えられた峠を越えたところに日坂宿があります。


歌川広重「東海道五十三次・日坂」(By http://www.hiroshige.org.uk/hiroshige/tokaido_hoeido/tokaido_hoeido_03.htm, )

日坂宿の川坂屋は土日曜祝日に公開されています。ボランティアガイドの男性によれば、この辺り一帯はかつて葛布の産地であり、日坂宿はその集積地でもあったそうです。一人のガイド氏にご自宅にも葛布の襖が使われていたのかと伺うと、自分の家は近所だが川坂屋のように大きくも裕福でもないので襖などなかった、とおっしゃる。しかし思い出したように、そういえば座布団があった、葛布の座布団が、と。私と同じ世代とお見受けするガイド氏、少なくともその子供の頃には日坂の家庭に葛布の座布団があった・・・私の記憶をたどっても、これは全国的な話とは思えません。


天保11年(1840)の宿場の図(掛川市役所商業観光課のパンフより)

掛川市・川坂屋 http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kankou/spot/rekishibunka/kawazakaya.html

ウイキペディアの「日坂宿」には「1913年(大正2年)の主要農産物は米977石・麦426石。茶1万2,780貫、繭8国・葛布2万2,426反など」という記述があります。その産高が多いのか少ないのかわかりませんが、主要農産物の項目に「葛布」とあることが、日坂が確かに葛布の産地だったことを示しています。葛布が日常にあり、葛布で栄えた日坂宿ですが、明治になって新道や東海道本線が開通したことで取り残され、今は静かな掛川市日坂です。
掛川といえば、葛布の産地として知られています・・・そのお話は次回に。


この記事を書いた人



  • 正芳大橋

    大橋正芳

    東京造形大学でテキスタイルデザインを学んで4年+卒業とともに大学に残って46年=50年の造形大人生。リタイアしても「こんなの見てきたよ!」をまだまだ続ける老元教師。日本の手仕事を守り、伝える「手仕事フォーラム」の共同代表。

 

  • 2018
  • 2017

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