東京造形大学デザイン学科テキスタイル専攻の名誉教授 大橋 正芳さんが注目する、全国のテキスタイルをはじめとした展示紹介コラムです。「テキスタイル老師ぶらり旅」略して「テキぶら」どうぞお楽しみください。

2018.07.01

葛布の里② 金谷宿と掛川宿


掛川の葛布

遠州掛川は、葛布の産地として知られています。そして掛川の葛布は全国的なブランドでした。


『和漢三才図会』中巻「絹布類」(国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸時代中期編纂『和漢三才図絵』、「絹布類」の「葛布(くずぬの)」には「葛布は遠州懸川より出づ」とあります。また、陸奥にはじまる各国々の記述の中で、「遠江」(遠州)の特産物の1つとして葛布も紹介されています。まさに、掛川葛布は全国区のブランドだったのです。
江戸時代の葛布は袴や裃に使われていたそうです。『和漢三才図会』「葛布」の後半にも、「葛の皮を緝て布を織り蹴鞠人の袴と爲す」とあります。現在に受け継がれている蹴鞠でも、「葛袴」を着けるのが習わしだそうです。
葛布は、明治以降の衣服の変化で生産が減少します。しかし襖地として復活。その後壁紙として輸出もされて大きな産業になり、戦後もアメリカ向けに活況を呈したのですが、昭和30年代に韓国産との競争に敗れて衰えた・・・という歴史の葛布。現在は、掛川市の掛川手織葛布組合に3 軒の工房が登録されています。
*掛川手織葛布 http://www.kuzufu.jp/

金谷の葛布

「葛布の里① 日坂宿」でも書きましたが、ウィキペディアの「日坂宿」に「1913年(大正2年)の主要農産物は米977石・麦426石。茶1万2,780貫、繭8国・葛布2万2,426反など」という記述があり、日坂が葛布の産地だったことを表しています。日坂に残る葛布の名残は川坂屋の襖だけですが、かつては旧東海道の金谷宿から掛川宿あたりが葛布の産地で、日坂宿はその真ん中にありました。大井川右岸の粟ケ岳の山麓の、金谷、日坂、掛川一帯で葛が採れたのだそうです。

[googlemaps https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1z44lj9aZzBorskw11ASepIn_IB-dtUsz&w=640&h=480]

山で採られた葛の蔓を山から流れる清流で整え、各家々で糸を績み、あるいは績んだ糸で布を織り、葛の糸や布が最寄りの町に集められた・・・のではないでしょうか。その集積地が金谷や日坂であり、そして最大の集積地掛川がやがて全国に葛布のブランドとして知られていった・・・のでしょう。そして明治以降、襖や壁紙として広幅の葛布が求められると、近隣の農家から集めた糸は掛川を中心とする町の工場で織られるようになり、掛川が葛布の一大産地となった・・・ような気がします。
今の日坂に織り手はいませんが、金谷には、大井川葛布という工房が伝統の織物を現在に伝えています。日坂や金谷の葛布も、実際には掛川葛布のブランドで全国に流通していた・・・のかもしれません。
*大井川葛布 http://www.kuzufu.com/index.html

2014年4月、手仕事フォーラムの静岡スタディツアーで大井川葛布の工房におじゃましました。そこで柔らかな色合いと、何よりも光沢が美しい葛布を拝見。また、工房の村井良子さんのお話を聞き、糸績みと機織りを見せていただきました。葛布の経糸は木綿で、緯糸には撚りをかけない平糸を入れますので、糸を打ち込む筬には、手前に引いても筬の角度が一定になるような工夫がされていて、感心しました。


葛布を織る村井良子さん。機の筬に独特な装置がついています。

美しい葛布に出会う

葛布は身近なものではなくなりました。それは今にはじまったことではありません。日本の工芸の美しさを発見して守り伝える仕事を続けた柳宗悦は、掛川の葛布にも目を向けて、著書『手仕事の日本』の中で「昔は袴や裃の素地として主に織られましたが、今はほとんど皆襖地であります。ここでも仕事は手をぬいたものが少くありません。しかし葛は滑なめらかで塵を止とどめませんから、襖地としての需用は長く続くことでありましょう。いつか洋間の壁張として迎えられる時が来るに違いありません。それより更に書物の装幀として悦ばれる日が近いでありましょう」と書いています。柳は実際、昭和11(1936)年設立の日本民藝館の壁面に葛布を貼りました。また、昭和6(1931)年創刊の雑誌『工藝』の49号から60号までの表紙を葛布で飾っています。


雑誌『工藝』49号、60号

雑誌『工芸』の表紙に使われた葛布は、遠州袋井で織られたと記録されています。藍染の糸や弁柄色の糸も駆使して無地、縞、格子と、今では見ることができない美しい葛布が雑誌のために織らていましたが、これには倉敷民藝館初代館長で自ら織物もやった外村吉之介の尽力があったといいます。外村といえば、実物を105点も貼り込んだ『葛布帖』(昭和55年、求龍堂)は、外村が残した葛布の、いや、日本の染織の宝物だといえます。『工藝』も『葛布帖』も個人で手にすることは簡単ではありませんが、葛布が今も織り続けっれている要因の1つに、柳や外村の活動の成果があるような気がします。柳は『手仕事の日本』の中で、葛布について「絹になく麻になく木綿にもまたない味わいがあります。その光沢は葛布のみが持つ特権ともいえましょう」と褒め称えています。


日本民藝館の展示ケース(2001年、許可を得て撮影しました)

日本民藝館の葛布は、当初のものは後の修理などで失われてしまいましたが、2004年に竣工した平成の改修で大井川葛布の葛布が壁面に貼られ、展示ケースにも葛布が使われました。日本民藝館では展示品ばかりに目がゆきますが、じつは葛布を楽しめる穴場なのです。
葛布の美しさに出会うために・・・さあ、出かけましょう!!


この記事を書いた人



  • 大橋正芳

    東京造形大学でテキスタイルデザインを学んで4年+卒業とともに大学に残って46年=50年の造形大人生。リタイアしても「こんなの見てきたよ!」をまだまだ続ける老元教師。日本の手仕事を守り、伝える「手仕事フォーラム」の共同代表。

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