富士吉田出身、現在スウェーデン在住ケイゴマンのコラムです。
けいごマン、スウェーデンでなにしてたの?
酔っぱらいの3人の計略により、ハタ印でコラムを書くようになってちょうど約1年。こつこつと月一回の連載をマジメにこなしてきました。12の記事を眺めると我が子、とはいかないまでも産み落としてきたよろこびがありますなぁ。
(ここに三人の写真を挿入したかった笑)
ぼくは物事や事象をざっくりと考たり、ざっあくりと整理して、レーベルやタグをつけたりすることは得意なのだけど、そのタグがなんなのかっていう細かくディテールになると難しくて、よくこつこつと書けたなぁ。「書く」という行為にかかわるひとたちを非常に尊敬しております、はい。このままいくと、話が横に流れそうなので、今日のトピックを先に発表すると、けいごまんスウェーデンでなにしてたの?です。
ここでかきはじめてから、あんまりスウェーデンについてふれてなかったよね、、あはは。だので、1年を記念してスウェーデンのことを書こうとおもいます。←やっとかよ。
どこかでちょこちょこと紹介してたかもだけど、あらためて書くね。
スウェーデンは縦にすごく長いのだけど、僕がいた場所は南のほう。みんながよくきくであろうストックホルムから南に約6時間、コペンハーゲンからは東に約3時間。カールスクローナっていう街に約1年ほど住んでいました。カールスクローナは、日本の規模感でいったら、すんごい田舎でもなく、すんごい都会でもない。人工も確か50000人くらいだし、富士吉田くらいの街かもしれない。ただ、圧倒的に違うのは山に囲まれていないこと。代わりに海に囲まれていたのだー!
海なし県の山梨人の特長として、海をみたらテンションが異様にあがることがあるとおもうけど、そのテンションは間違っていない。海のそばに住むっていう素晴らしさをしれた。
ひとつは、通っていた大学院の目の前は海だった。バルト海。修論を書き終えた日にはクラスメイト全員で、飛び込んだ。ムカつくことがあった日は、F※※K offって叫んだ。たそがれたいときは海辺でビールを飲んだ。クラスメイトとのパーティはいつも砂浜だった。そこにあることが当たり前っていいよね。富士山みたい。大家さんだったスウェーデン人のスーザンは、バスローブ一枚で、「大きいお風呂入ってくる」っていって、でかけていった。卒業式の夜中にひえっひえの中、泳いだ。凍ったときには歩ける。スケートをしてる人もいた。カールスクローナは島がたくさんあっていりくんでいるから、海っていっても全然しょっぱくない。ほとんど真水。だから凍るのだけどね。
大学院の名前はブレーキンゲ工科大学。工科大学の中にひっそりとそのコースはあって、Master of Strategic Leadership towards Sustainabilityと呼ばれていたの。通称、MSLS。コースが開設されてから15年くらいかな?学んだ内容はサステナビリティとリーダーシップ。簡単にいうと、地球も人類も、いまの社会も未来の社会もハッピーになるように、社会システムをつくってこーよってのがサステナビリティ、リーダーシップは、そういった社会システムの中で求められるリーダーの在り方やスキルってなんなの?(諸先輩方、すみません!このざっくりとした説明!興味あるかたはよく調べてね!)
サステナビリティって言葉が使われはじめたのは、ひとつには国連の90年代の報告書だったみたいなので、まだまだ学問的には若い領域ともいえるかな。
なんで学びたかったかっていうのは、いまの日本の政策ってほとんどが、右肩上がりの時代を引きずったものが多いように感じて。数値化されるもの、儲かることとかさ、まだ右肩あげてくってのが前提にあるような気がして。代わりになる前提ってないのかなぁっておもってたところに、このコースをみつけたのと、個人の関心として、人がどういう風に変わっていくのだろうっていうリーダーシップ領域の関心が合わさったサステナビリティ meets リーダーシップはまさにぴったりだったの。
サステナビリティでは多様性を大事にしていて、その性質を体現するようにコースには全世界27ヶ国、約50名の人たちが集まってて。1年っていうマスターコースだったので、課題がすごく多かったのと、英語力がなかったので、テストに落ちまくったりと、なにより外国で、多様性に囲まれて過ごすのはなかなかストレスったったったったったったったった笑 コミュニケーションにコストがかかるし。っていうのもね、課題が毎回チームを変えて一からチームビルディングしなきゃいけないの。コスタリカの友達と組んだ時は、コスタリカでは15分遅れはクールだから、毎回遅刻させてほしいって富士吉田タイムかよって!(注:富士吉田では、無尽が7時からだったら、だいたい7時には家を出ようかなぁってウダウダしているくらいである。)修論書いてるときは、子供が生まれたばっかりの友達と組んだから、友達のお家にいって子供の面倒を見つつ修論を書いたり。留学って聞こえはいいけど、ほんと修業みたいだった。日本の空気を読むとか全く通じないからぁぁぁ!でも、多様性のおかげで、たくさんの気づきと学びがあったのも事実なのだけどさ!
ぼくは1年間豊かな自然と、多様な人たちに囲まれて暮らして、そして学んでいたのです。35歳にもなってね。その結果、アラフォー無職という現実を突きつけられているわけで笑 ただ手ばなすこすことで見えること、日本っていう場所から離れることっていうことで得たモノも大きかった。富士吉田のけいごマンから、何者でもないけいごマンは、何にもないけど、ただ自分であることをスウェーデンで体感したのです。どんどんよくなってく富士吉田の活動を見ているとヤキモキする気持ちもあったけどさ。そういうのが人生じゃないですか。
これから、どういう風な道を選ぶかはよくわからないけど、場づくり、ファシリテーション、ライブパフォーマンス、サステナビリティ(一応、マスター!!)ということはできそうなので、ピンとくる人は連絡をしてください。それでは、今後も「ハタ印」そして 「僕の住む街、世界一」をよろしくお願いします!!!!!!