ヒット商品を生み出す名コンビ-光織物
光織物有限会社 加々美 琢也さん、井上 綾さん
世にはびこる名コンビを挙げたらきりがありません。
・シャーロック・ホームズとジョン・ワトスン(シャーロック・ホームズ)
・C3POとR2D2(スターウォーズ)
・タカとユージ(あぶない刑事)
・松本人志と浜田雅功(ダウンタウン)
・荒木と井端(中日ドラゴンズ)
最近では、ぺこ&りゅうちぇるかな。
数ある強い絆で結ばれた関係性の中でも、私が好きなのは、三国志の劉備玄徳(りゅうびげんとく)と諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい) 西暦184年から始まる中国の三国時代に活躍した両者の関係はしばしば「水魚の交わり」と揶揄されます。「欠くことのできない、水と魚のような間柄」のことの喩えとされ、主従関係や夫婦仲が良いことなどについて用いられています。天下泰平を願い、名を揚げていた劉備玄徳は優秀な軍略家を求めていました。その折に、諸葛亮の噂を聞き、当時無名であった諸葛亮に対し、目上の立場である劉備は三度も諸葛亮の元を訪問し、自軍に迎え入れたと言われています。
優秀な人材が活躍できる舞台を整えた劉備玄徳、その舞台で自分の輝きをいかんなく発揮した諸葛亮孔明。2人の主従関係は、切っても切れない固い絆で結ばれていましたとさ。
こんにちは。トレンディでもエンジェルでもない方の斎藤です。でも、将来はちゃんとトレンディなネクタイの似合う夢のダンディズムを手に入れようと、憧れは持っている28歳です。これは山梨ハタオリ産地のある商品の誕生をめぐる物語です。
主人公は機屋の跡継ぎと、当時、テキスタイルデザイン学科を専攻していた美術大学の学生。そんな2人がヒット商品「kichijitsu」を生み出すまでの過程をダイアログに綴っています。
そんな2人が織りなす、織物語。どうぞ、楽な姿勢で、最後までお楽しみください。
良いことがあるようにと思いをこめて作られる縁起物「kichijitsu」
kichijitsuはこれらの商品の総称で、この物語のメインテーマです。東京や全国のセレクトショップ、ミュージアムショップで目にしたこともあるかもしれません。「毎日が吉日」をテーマに昔から私たちの身近にある縁起物のあることやものを、より私達の生活に身近なプロダクトとして、提案しています。
今や、たくさんのお店で売られ、たくさんの人の手にとられている山梨ハタオリ産地を代表する商品の一つとなっています。
主人公はヤンキーっぽいハタヤの2代目と、ギャルギャルした都内のデザイナー
光織物有限会社さんは昭和33年に設立され、富士北麓の湧水で糸を染め上げ、和のテイストを用いた織物制作を行っています。掛け軸に使われる表装裂地(ひょうそうきれじ)や和雑貨や雛生地に使う金襴緞子(きんらんどんす)を主に製造しています。
kichijitsuのデザインをてがける他、フリーのデザイナーとしてステーショナリーや雑貨など、縁起物モチーフをメインにした商品のデザインを手がけています。
2人の舞台は 富士山の麓で50年以上続く伝統あるハタヤ「光織物」。
2人の活躍する舞台は富士山の麓のハタヤである「光織物」です。
光織物が織っている生地は金襴緞子と呼ばれるもので、一言で言えば派手!
地元のヤンキーな友達がすごく好きそう。
高い技術と産地に支えられ、昭和から現在にいたるまで日本の「和」を支えています。
キラキラとした生地を織っているから「光」織物かと思いきや、創業者が光男さんだったからなんだって…結果的にとても良い社名ですね。ありがとう光男さん。
2人のシンデレラストーリーの始まりは産地から大学へのナンパでした。
斎藤「この産地を代表する商品が生まれた経緯は、一言では言えないと思いますが、始まりはどういうキッカケだったんですか?」
加々美さん「そもそも、ちょうど同時期くらいに、同年代くらいの後継者が山梨ハタオリ産地に何人か入って、組合に青年部ができたんだよね。それで展示会に出ろとか新しいものづくりをしろとかいろいろ言われて。でも、別の仕事をしていた俺達は後継者として突然家内工業であるハタヤ(機屋)に入ったから専門的な勉強もしていないし織物のことはなにもかわらない状態だったんだ。ただ、生まれ育った家がたまたまハタヤをやっていた、それだけなんだよね。それなら、繊維をがっつり勉強している学生とコラボしてみて、お互い勉強になったらいいよねって。それで、当時山梨ハタオリ産地の展示会等をディレクションしていただいていた東京造形大学テキスタイルデザイン専攻の教授鈴木マサル先生に相談したのがキッカケかな。」
加々美さん「学生コラボが始まる時、最初にマサル先生がルールをお互いに1つずつ設けたんだよね。ハタヤは学生が言ったことに絶対にNOと言わない。絶対にダメって言うなよって。学生に対しては、これはビジネスと直結していく可能性もある話だから、本当に仕事としてやれよって。機屋さんって、結局、図案見た段階でこれって無理だよねとか判断つくことが多いんだよね。結局経験でものを言ってしまう。だから、工夫してやればできんじゃねえかっていうチャレンジ精神を持とうっていうことだったよ。学生もさ、そんなアホみたいに高い素材を使ってやろうみたいな提案をしてくるわけじゃないし(笑)」
縁起物「kichijitsu」ができたのは、たくさんのご縁のめぐり合わせでした。
斎藤「そこでマサル先生にペアリングされたのが井上さんですか?」
井上さん「そうですね、光織物とペアリングしたのが、7年前。7年前?まじか…(笑)。その時、最初に提案したのは、なんかエコバックを作りたいとか言って、無縫製バックを作りたいとか言って超音波カッターとかで縫製しないで、バックが作れんじゃないかってなったけど、まあ無理で(笑)。なんか、異素材とやればいいのかなと思ってたんですよね。奇抜なことをやればいいのかなみたいな。金魚のお祭りで、金魚を入れる袋があるじゃないですか?それの取っ手のなんかピンクとか青とかの紐を横糸の変わりに織ったらかわいいんじゃないかって提案したんだけど織れなくて。今考えれば普通に織れないよねっていう(笑)。」
流石学生、とんでもない発想から製品開発がスタートしたのですね。
井上さん「結局、金襴緞子の柄を活かして、現代風だけど和風みたいなカバンを作ろうってなって、鰹柄のお稽古バックみたいなカバンを作ったんですね。でもバックって流行りとかもあるし、難しいじゃないですか。和っていうお題はあったんで、柄にちょっと工夫をして、信玄袋とかを作ってギフト・ショー出したりしてて、でも、こういうのって実際には売りにくいじゃないですか?っていうことで、別に好きじゃないことはやめよってなりました。」
井上さん「それで、元々世の中にある商品を活かした方が、売りやすいかなと思って、掛け軸を作ろうとしたんですよね。掛け軸はもともと額縁的なもので、地味なものが多いから掛け軸をメインにした飾れる掛け軸を作ったら、ミュージアムショップとかで売れるかなって思って、提案させていただいたんです。ただ、掛け軸作るのっていろんな工程が入るんですね。結構費用的にも現実的じゃなくて、結局売りづらいし企画が他のデザイナーとかぶったりして、えーやだーってなって掛け軸はやめたんですね。時間も納期も迫っていたのですが、そこから企画を一から作り直したんです。」
井上さん「そんな時に目についたのがお守り。渋谷とかで女子高生がじゃらじゃらお守りつけてるの見てて、縁起もいいし、もともと形が決まっているものの方が売りやすい。みんな知ってるものをベースにものを作った方がいいなってずっと思ってて。で、お守りに物入れたらいいかなって思ってて、その時まだガラケーが主流だったんで、もうちょっと大きくしたら携帯入るしって思って、ギリギリできるサイズを探して作ったのが、写真のお守りポッケのサイズだったんですね。結局このサイズになったけど携帯もスマホになって大きくなったから、結果オーライみたいな。」
井上さんが卒業…就職か、どうするか…光織物と井上さんのご縁は続いていきます。
井上さん「私はいけるみたいな感じだったんだけど、マサル先生は、何を言っているんだろうみたいな反応で。お守りに物を入れるのかあ、へえ。みたいな(笑) 。」
加々美さん「それでも諦めずにギフトショーに向けて、ガリガリkichijitsuのデザインとか縫製とかやってたらみんなインフルエンザになって、俺なんか当日行けなくて。でも、商談決まりましたみたいな連絡きて(笑)。 」
井上さん「それも結構みんなが分かるような会社から引き合いが来るようになって、これは売れるのでは…って。でも、大学院も卒業だしこの卒業後どうしようかなって、就職も決まってないし、てか就活もしなかったし。」
加々美さん「じゃあ光織物としてのファクトリーブランドを作ってもらおうってなったんだけど給料も払えない状態で(笑)」
井上さん「半年くらいニートやって、調剤薬局でバイトやっては富士吉田に通ってkichijitsuのデザインや製造の相談をするっていう生活を続けました。で、2年位おまもりポッケの製造をし続けて、それでもめちゃくちゃ売れるっていう商品ではなかったんだけど、バイヤー受けが良くて、もうちょっと頑張ろうと思ってどんどん新作を描き続けました。」
加々美さん「 井上さんも大変だったと思うんですけど、会社として見たら、デザイナーがいないと布は作れるけど、誰に売るのかな、誰がカタログ作るのかなって問題に絶対陥っていたと思う。最初の段階で、どういうところに置きたいかだけは井上さんが決めておいたからね」
どんどんと広がる「ご縁」の輪。縁起物を基調として市場を開拓していきました。
斎藤「そこで、いろいろなご縁からバイヤーさんに広がっていって、次はどういったところに広げていったんですか?」
井上さん「ananとかの流行雑誌を割りと読むので、若い女性が縁結びの神社とかに行って、旅行先で御朱印集めてみたいのがフワッと出てくるような段階で、そのときに御朱印帳ってかわいいのはあまりないなぁと思ってたんですけど、光織物が神社とかともともと仕事をされていて、御朱印帳も作れるよ-って言われてたんで、ちょうどって感じで作ったんです」
加々美さん「で、次にデザインしてくれた御朱印帳はターゲットを絞ったら絞っただけズバッと入ったんだよね」
井上さん「篠原ともえさんにもご紹介していただいたり、最近は雑誌やテレビ等のメディアでも取り上げていただけて本当に嬉しいですね」
2人をとりまいた「ご縁」がもたらしたものは、産地とデザイナーの新しい関係性
斎藤「ヒット商品が産まれた秘訣や井上さんという外部のデザイナーと組んで気づいたことやよかったなぁと思ったことはありますか?」
加々美さん「今思うと、ものづくりではブランドが確立されていて、ブランドコンセプトがしっかりあって売りたいお店があるっていうのが、1番のキーワードなのかなって気付かされたな。それはハタヤ(機屋)だけだと、気づけないし、分からないことだった。あと、井上さんと組めたことでメリットとしては、売りたい場所は東京だから、都内に住む外部のデザイナーがいることって強いと思う。東京にいるからそれだけで商品を置かせていただきたい良いお店を探してきてくれたり宣伝にしてくれるし」
斎藤「井上さんは加々美さんと組んでみていかがでしたか?」
井上さん「光織物と(加々美)琢也さんの出会いがなかったら、そもそもこの仕事してないんで。ダイレクトに実績が卒業前にできたから他の仕事のご依頼もいただけているし、琢也さんのおかげです。じゃないとただの変な人だった。私が描く柄はぶっちゃけ奇抜でトンチキな柄なんですけど、実際歴史があって、確かな技術と絡んでるから説得力はあったと思うんです。でも、デザイン力だけじゃなくて、ここでしかできない、2人の、そして光織物との総合力でここまで来れたなって思っています」
実は、現在、kichijitsuでは通常の商品の他、スター・ウォーズやウルトラマンなどのキャラクターや観光地にあるショップとのコラボレーションをしたGOSHUINノートなども展開しているそうです。一部のコラボ商品はkichijitsuのオフィシャルショップでもお取り扱いしているのでご覧になってみてくださいね。
コラボレーションをご検討いただけるキャラクターや、ショップなども募集しているそうですよ。ご相談等はHPにあるフォーム、もしくはこちらのメールアドレス[info@kichijitsu.jp]から問合せてみてください!
2人のシンデレラストーリーのほんの一部分ですが、ご覧いただけましたでしょうか?
産地の中において、kichijitsuの関係性は一つの光です。劉備と諸葛亮のいた古代中国の話ではありませんが、富士の麓の小さなハタオリマチでお互いが力を最大限発揮できる素敵な関係性に触れることができました。
これからも織りなされていく2人のストーリーを、お楽しみに。