世界を股にかける織機のスペシャリスト -機屋番匠-
機屋番匠 渡邉徳重さん
はじめまして、こんにちは、装いの庭の藤枝と申します。毎年秋に富士吉田市で行われるハタオリマチフェスティバルの工場祭エリアを担当しています。ハタオリマチに関わらせてもらって2年、もともと繊維メーカーにいたので知った気になっていましたが、実は織物は専門外。織機の音を聞いたのもこの街を訪れたときが初めてでした。知れば知るほどこのハタオリの仕事の多様さ、工程の多さに驚いています。
さて、そんなぼくが今回お会いした織工さんは「機屋番匠-はたやばんしょう-」。いったい機屋番匠とはどういうお仕事なのか。はじめて名前を聞いたそのときは「機屋番長」と聞き間違ってしまいました。その響きのインパクトたるや……。機屋番匠は多様な準備工程の仕事の中でも多くのハタヤさんが「いなくなったら困る」と口をそろえて語るほど、貴重な職業です。それでは早速ご登場いただきましょう。織工さんのレジェンド「織屋番匠」の渡邉徳重さん(70歳)です!
産地を支える織屋番匠って?
藤枝「それでは徳重さん、まず織屋番匠のお仕事について教えていただけますか?」
徳重さん「あぁ? こういうの直すだぁ。ジャカードの針入れ替えたり、ゴムを巻いたり、機械なおしたり、こわしたやつを組むけ」
そうです。織屋番匠とは、ハタヤさんの命ともいえる織機を専門に設置・メンテナンス・解体する機械商のことなのです。糸をかけ、模様や密度の調整をするのはハタヤさんでできても、折れた針の入れ替えや部品が破損するなど大きな故障の場合、自力での修理はなかなかできません。産地で稼働している機械の多くは、古くからつかわれているため、備品交換や修理をメーカーに頼ることができない状態にあります。機屋番匠とは、それらを専門の知識と豊富な部品のストックでメンテナンスをしてくれる織機のスペシャリスト。ハタヤの番長というのもあながち間違いではなかったかもしれません。そんな機屋番匠 徳重さんのすごいところを7つにまとめてご紹介していきましょう。
すごいところ1:山ほどの機械の部品
徳重さんの倉庫には機械の部品がずらり。しかもこのスペースだけでなく、この工場の2Fと別の倉庫にも機械がストックされています。織機数台分のストックはあるようです。
藤枝「この部品ってどこからか引き取ってくるんですか?」
徳重さん「いんや、全部買ってるだぁよ。(機械をつくっているメーカーが)やめちゃったりするからまとめて買うだぁ。この針曲げてつくる人ももう日本でひとりしかいねぇのよ。必要なときにないと困るから買っとくのよ」
・・・一見なんでもなさそうなネジや鉄の棒が、実はとても希少価値のあるお宝なのかもしれません。
すごいところ2:どんな機械にも対応する
一口に織機といってもジャカード織機やドビー織機、レピヤ織機やシャットル織機などその種類はさまざま。その上、同じ種類でもメーカーによって部品の企画が異なっていたりもします。また、綿を織るのか絹を織るのかなど、主に使う用途によっても調整の方法や部品が異なってくるそうです。徳重さんは、そのすべてに精通しており、どんなものの修理も請け負います。なんでも若いときに数社の機械メーカーで研修を重ねていたのだとか。10年以上やっている方でも徳重さんに言わせれば「まだまだわかってない」んだそうです。
すごいところ3:直すための道具は自分でつくる
徳重さん「(さまざまな企画の織機の)どれにも合うように考えるだぁよ」
直すのに道具が必要な箇所もあります。徳重さんはメーカーの企画の違いにも対応できるようにその道具をご自身で制作しています。
例えばこちらは、織った生地を巻き取るローラーのゴムを替えるための機械。メーカーによって長さが違ったり、軸の太さが違ったりするものにも対応できるようにしてあるそう。
すごいところ4:作業はほとんどひとりでやる
織機は人の何倍もある大きな鉄製の機械。いくつかの機構に分けられるとはいえ、数百キロの重さはあります。しかし、徳重さんは代車やクレーンを駆使してほぼひとりで分解、組み立てを行なってしまうそう。0から組み立てる時間はメンテナンス含めて一週間ほどかかりますが、黙々と作業されるんだとか。
すごいところ5:仕事の依頼は四六時中
今、産地の中で機屋番匠さんと呼ばれる人は二人しかおらず、多くのハタヤさんが困ったときには徳重さんに助けてもらっています。
徳重さん「毎日どこかしらか電話くるよ」
徳重さんは、その度に現場に駆けつけ、機械のメンテナンスを施します。信頼の厚い頼れる番匠なのです。
すごいところ6:産地だけでなく日本全国どこでもいく
仕事の依頼は産地の中だけには留まらないのだとか。
徳重さん「(織物の産地である)東京、群馬、愛知、福井、京都にもいくよ。もちろん交通費は出してもらうよ。誰もいないだもん」
全国的にみても織機を直せる人は少なく、あちこちで引っ張りだこのようです。
すごいところ7:日本国内だけでなく外国にもいく
徳重さん「外国にもいくだぁ」
藤枝「えっ、外国???」
なんでも中国やベトナムなどのアジアに織物の生産拠点を移し始めたころ、日本の技術者として派遣されていたそう。「ベトナムには15年くらい前に16台入れたよ。中国にも。中国は南京門に寄付をして土井たか子さんの横に名前彫ってきたよ」。機屋番匠は世界を股にかける技術者なのです。
メーカーすらお手上げの機械を修理し続けた匠
大量生産に耐えられる丈夫な織機は、とても長持ち。織物を織るにしても古い織機にしか出せない味があります。そういった昔ながらの織物がいまでも作り続けられるのは、メーカーが製造を中止してもなお、ハタヤさんのために、たくさんの部品を集め、整理し、ときには加工して、修理をしてくれる徳重さんのような機屋番匠がいるおかげなのです。
しかし、そんな機屋番匠さんも今やいなくなってしまいつつあります。徳重さんもご両親の介護のため、出張は控え、産地内の修理も断ることが多くなっているのだとか。もしかしたらこのインタビューが最後の記録になってしまうのかもしれません。この記事を読んでもしも機屋番匠のお仕事に興味をお持ちくださる方がいらっしゃいましたらぜひ、ハタ印事務局までご一報ください。
次代の織機のスペシャリストは……
あなただ!