2017.05.11

◤イベントレポ◢ 山梨ハタオリ産地が注目されている理由とは?


 

こんにちは!ハタオリマチのハタ印運営事務局です。

古くから織物のまちである山梨の富士吉田と西桂。本サイトでは、この織物産地をずっと支えてきた織工さんからハタヤさん、糸商さんや染色業の方など繊維産業に携わる方々をご紹介してきました。そんな山梨ハタオリ産地が、最近他産地から注目を集めているそうで、近隣の繊維産地である八王子のファッション協議会主催による、特別無料講演会が開催されました。

その名も『山梨ハタオリ産地の活動について』

 

登壇されるのは、富士吉田・西桂周辺の繊維産業をそっと支えつつ盛り上げているサポーター的存在、山梨県産業技術センター富士技術支援センター(旧:富士工業技術センター※4月1日より名称が変わりました)の五十嵐 哲也さんとハタオリマチのハタ印総合ディレクターの高須賀 活良さん。

実は五十嵐さん、この山梨ハタオリ産地を活気づけるため、産地を発信するためのイベント企画や、織物産地の魅力を発信するためのフリーペーパー「LOOM(ルーム/織機という意味)」の制作など影からバックアップしながら、近年の山梨ハタオリ産地の活動を常に見守ってきたそうです。

今回は、同じく繊維業が盛んな東京・八王子から「今までの様々な活動がどうして起こってきたのかをお聞きしたい!」とのことで、オファーがあったそうですが、山梨ハタオリ産地が他産地から魅力的に映る理由はどこにあるのか?ぜひ私たちも知りたい!ということで、ハタオリマチのハタ印運営事務局もお二人のトークイベントに駆けつけました!

 他産地である八王子で講演をする意味

なぜ、他産地である八王子で山梨ハタオリ産地を紹介するのでしょうか?そこにはこの公演の主催者であり、八王子で活動する奥田染工場奥田さんの思いがありました。

奥田さん「繊維産業のまちである八王子は山梨に似てるけど、学ばなきゃいけないことがたくさんある。ヒントが欲しい」

山梨ハタオリ産地を知ることで、八王子の見本にしたいと考えたそうです。

ファッションデザイナーから支持される奥田染工場の奥田さん

公演が始まりました!

この公演では、山梨ハタオリ産地の歴史と最近の取り組みについて紹介し、なぜこの産地が注目を集めているのか解説していただきます。まずは山梨ハタオリ産地の歩みについて紹介していきます。実はこの資料がとってもわかりやすいと評判なんです!

五十嵐さん「まずは、私の自己紹介を」

 五十嵐さんてどんな人?

 

 

淡々と自己紹介を始める五十嵐さんですが、五十嵐さんの生まれたての写真や同い年の有名人、その年のオリコンランキングなどを盛り込んだ、ユーモア満載のつかみで場を和ませる五十嵐さん。公演に来た方も「懐かしい!」と楽しみながら聞いていました。五十嵐さんにはさりげなく会場の笑いを誘い、人を惹きつける魅力があります。

そんな五十嵐さん、十代の頃はマンガ好きだったそうです。

五十嵐さん「アニメよりマンガ派ですね。白黒の絵がいいですよね!」と、どこか生き生きとした表情をしていました。マンガ好きに加え、天文に興味を持っていた五十嵐さん。学生時代には自らこんな絵を描くほどです!この頃からデザインと縁があったのでしょうか。

 

 

ここで、五十嵐さんの経歴について紹介します!五十嵐さんが山梨と関わるきっかけは何でしょうか?

 

五十嵐さんと山梨の関係

出身地である千葉の大学でデザインを学んでいた五十嵐さん。甲府出身である教授の研究室に入ったことがきっかけで、山梨と関わりを持ったそうです。

 

 

五十嵐さんの経歴と、山梨ハタオリ産地がうまく混ざり合っているのが一目瞭然!五十嵐さんの経歴が少しわかったところで、いよいよ山梨ハタオリ産地についてお話じゃ、と思いきや…「私が嫌いな言葉を3つ紹介しますね」と五十嵐さん。

五十嵐さんの産地に対する思いや仕事への姿勢を読み取ることができるこの3つの言葉、実は今回の公演の内容と関わりがあるんです!山梨ハタオリ産地がどうして他産地から注目されているのか、そのヒントがこの3つの言葉に隠されています。

 山梨ハタオリ産地の歩み

山梨は古くから織物のまちとして栄えてきました。ハタヤ(機屋)さんのお仕事は、主にテキスタイル(布)をデザインすることです。「布をデザインする」と聞いてもいまいちピンとこない…ということで、さっそく五十嵐さんのとってもわかりやすい資料で解説します! 

五十嵐さん「布を作りたい!となったとき、色や柄だけでなく、どんな素材で、どんな肌触りの布にしたいのかまでを決めるのがテキスタイルデザインです」

 

これらのご要望を翻訳するのがハタヤさんなのです。糸の種類や糸の撚り方で布の硬さやハリが変わったり、意匠図(デザインの柄)に合わせて、経糸(たていと)と緯(よこ)糸をどのように上下に交錯させて織物組織を設定するか。組織とは、平(ひら)織り・斜文(しゃもん)織り・繻子(しゅす)織りなどが一般的ですが、他にも絡み織りや二重織り、ジャカード織り(多くの糸を操り設定した色を手前に出すことで色柄をデザインする)など、多くの手法が存在するため、ハタヤさんは多岐に渡る知識と技術力、そして記憶力が必要なのです。「布をデザインする」とは、単に柄や色を決めることだけではないんですね!そんなハタヤさんが、山梨の富士吉田や西桂町で発展したのはなぜでしょうか。

ハタオリマチはどうして生まれたの?

そのヒミツは、水と立地にありました。富士山の麓にある富士吉田・西桂は、富士山からの水が豊富に湧き出る場所です。

雄大な富士山から出る湧き水は不純物が少なく、糸を染めるのに適した水なんだとか。「何百年にわたって絹を染め、機を織ってきたんです。水に育てられてきたといっても過言ではないですね」と、五十嵐さん。富士山の水があったからこそ、染色を発展させることができたんですね!

 

そして、もう一つは立地です。山梨は江戸から離れた山の奥にあったため、商人がなかなか行き来しにくいという弱点がありました。その弱点を強みに変えたのが、山梨ハタオリ産地!山奥にある産地のため、江戸に運びやすい「軽さ」と、他の産地とは一味違う「高級生地」をアピールしたのです。

 

その結果生まれたのが、着物の裏地などに使われるとっても薄くて軽い甲斐絹(かいき)です。

山梨の代名詞、甲斐絹

甲斐絹はとーっても細い絹糸(シルク)を高密度で織った、肌触りが良くなめらかな高級絹織物です。その分たいへんな手間がかかり、職人の腕が問われました。この甲斐絹が誕生したのは江戸時代。江戸時代の奢侈禁止令で、庶民は派手な着物を着ることができなくなりましたが「それでもやっぱりオシャレがしたい!」と思った人々は、着物の裏地を豪華にしてオシャレを楽しんでいたのです。

そこで重宝されたのが、甲斐絹です。甲斐絹の特徴はその薄さと軽さ。さらに甲斐絹は機能性だけでなく、見た目の美しさや風合いも最高級なんです!

江戸時代の人々は、チラッと見える裏地でオシャレを追求しました。この時代になると「京都の織物は郡内(富士吉田の・西桂の総称)のものには及ばない」と言われたこともあったほど、織物産地としての名前が江戸中に知れ渡っていました。甲斐絹は裏地でありながら、きらびやかな絵柄や、縁起物をがあしらわれた、着る人が美意識を競い合うツールであり、一種のメディアでもある高級素材でした。明治時代には、小さな子が甲斐絹の切れっ端をまるで宝石のように大事に宝箱にしまう風景を描いた詩が、金子みすゞによって残されています。

 

 

甲斐絹は戦後、着物文化の衰退とともに需要が減り、姿を消してしまいましたが、甲斐絹を作る技術は現在のさまざまな山梨産地の生地へと発展していきました。また、甲斐絹の技術を受け継いだハタヤさんが「甲斐絹」を保存し、未来へと継承するために合同で甲斐絹座という会社を立ち上げ、新しい時代にふさわしい魅力あふれる商品を生み出しているそうです。

後ろが透けるほどの薄さ!まるで絵のような柄も、糸一本一本で織られたものとは思えません。

 

そんな、江戸時代から昭和初期にかけて、日本有数の織物産地として知られていたハタオリマチ。しかし戦後、経済発展の陰で山梨産地の環境は大きく変わり、1970年代以降には、山梨の織物生産は減少していきます。

 

山梨ハタオリ産地の名もない時代

江戸時代には「郡内島」という名称で、明治時代から戦後にかけては「甲斐絹」という名前で産地は繁栄してきました。江戸時代から戦後にかけて、産地の名前がそのままブランドとして商品になっていたのです。

しかし戦後になると、産地の名前は表舞台から消えていってしまいます。

 

戦後、山梨ハタオリ産地は外から仕事をもらう代わりに産地の名前を出せない「OEM」というビジネスの形になっていきます。OEMっていったなんだろう…また知らない言葉が出てきて難しいなぁ…と思っていたところ、「ここで出てくるのが映画『千と千尋の神隠し』(© 2001 二馬力・GNDDTM)ですね」と五十嵐さん。五十嵐さんの得意技の例え話で、わかりやすく解説していただきましょう!

OEMとは?

五十嵐さん「『千と千尋の神隠し』では、千尋が湯婆婆から仕事をもらう代わりに名前を取られ、千という名前があたえられますよね。湯婆婆は千尋の名前を奪って支配しているんです」

山梨ハタオリ産地のOEM形態は、まさしくこれと同じです。ここでは名前を奪われた千尋(千)が山梨の産地、仕事を与える代わりに名前を奪う湯婆婆が注文する側になります。つまりそれと同様に、仕事をくれる代わりに、産地の名前を表に出す場がなくなってしまうという仕組みが、OEMなんですね。

私も「なるほどー!」と心の中で思わず叫んでしまします。

五十嵐さん「戦後長い間OEMだったため、産地のすごさが知られてこなかったんです。バブル崩壊後にOEMの仕事も減ったので脱OEMを試みたのですが、名の知れない産地は相手にされなかったんですよ」

名前のない時代を抜け出すということはなかなか難しいことだったそうです。

以前五十嵐さんと同じく富士工業技術センター(現:山梨県産業技術センター富士技術支援センター)で働き、ハタオリマチのハタ印総合ディレクターである高須賀 活良さんにもお話を伺いました。

 

高須賀さん「今は注文する側の発言権が強いけど、昔は糸を持っている人の方がすごかったんです。糸がないとデザインすらできないという当たり前の仕組みが成り立っていたんですよ」

出来上がった服のことを考えることはあっても、布を作るための糸に思いを巡らせることが少なくなった今の時代。OEMが根強いことがよくわかります。「確かに、糸がないと何もできないなぁ」と改めて実感しました。

そんな山梨ハタオリ産地が名前を取り戻すようになったのは2007年頃のことです。

 

山梨ハタオリ産地の取組み

産地ではそれまでも展示会を行ってきました。たとえば十数年前に開催されたこの写真の展示会、いま見てみると産地の魅力がなかなか伝わりづらく、なんだか近寄りがたい雰囲気…。

 

そこで2007年、展示会のコーディネーターとして鈴木マサルさんを迎え、展示会のディレクションをしてもらいまいました。そして完成した展示会がこちら!

五十嵐さん「鈴木さんにダメ出しされたハタヤさんが気合を入れて作った展示会なんです」

鈴木マサルさんの厳しいディレクションとハタヤさんの技術がうまくマッチした結果なんですね。モダンでかっこよく生まれ変わりました。どこかおしゃれで手に取りたくなってしまいますよね!さらにハタヤさんと学生のコラボレーションが、産地に新たな風を吹き込みます!

ハタヤさんのオープンな姿勢

2009年に始まった、東京造形大学テキスタイルデザイン学科とハタヤさんによるテキスタイルコラボ産学事業フジヤマテキスタイルプロジェクト」です。美大生が持ち込んだ企画にハタヤさんが応えるこのプロジェクトは、学生だけでなく、ハタヤさんにも良い刺激を与えたそうです。

東京からも近い富士吉田や西桂。「学生がトラベル感覚で来られることや、家族のようにハタヤさんと付き合えるのも、この産地の強みかもしれないですね」と、五十嵐さんは温かい目で話していました。そして、もう一つのプロジェクトがヤマナシハタオリ産地バスツアー」です!

産地を発信するプロジェクト

ヤマナシハタオリ産地バスツアーは、ビジネスとビジネスを結ぶB to Bマッチングツアーイベント。テキスタイルデザインに興味のある方が、バスで産地を巡りながら織物について学びます。デザイナーが実際に制作現場をみることで、ハタヤさんとデザイナーの距離がぐっと縮まるとか。

このツアーをきっかけに、参加したデザイナーとハタヤさんがコラボレーションし、商品開発に至るなど、さまざまな効果が生まれています。デザイナーとハタヤさんが直接会話できるのがこのツアーの魅力。デザイナーとハタヤさんの間に仲介役がいない分、デザイナーの提案やハタヤさんや職人さんのアドバイスが早く伝わり、驚きのスピードで商品化に至るケースもあったんだとか。

 

 

 

五十嵐さん「従来のB to Bでは、下請けに対してはお金を出す方が偉い、という『上から目線』の関係が多かったのですが、バスツアーでは作ってる人をその場で見てリスペクトしてもらうことができるので、対等な関係づくりが生まれるんです」まさに五十嵐さんの嫌いな言葉、「お客様は神様です」の逆ベクトルを現していますね。さらに織物業に携わる人たちだけでなく、織物のことを知らない人たちにも産地をアピールするための取組みもされていたそうです!

産地を知らない人への入口を作る

各ハタヤさんが産学プロジェクトで生まれた商品や自社ブランドを直接消費者に届けるヤマナシハタオリトラベルも企画されました。生地を織っているハタヤさん自身が店頭に立って、直接お客様と交流します!

2012年にecute 立川の3F 、イベントスペースに設けられたヤマナシハタオリトラベル。実はこの展示、全て産地の人たちの手作り!糸を取るときに使われる「かせ繰り機」なども置いてあります。製品だけでなく、織物の世界も覗けちゃうんです。「織物を織った人から買えるなんてはじめて!」と感動するお客さんも多いんだとか。確かに、織物を織った人が目の前にいるとより愛着がわきそうですよね。

さきほどのヤマナシハタオリ産地バスツアーはB to B企画でしたが、ついにB to C企画のツアーも派生して生まれました。ハタオリマチの旅とハタヤ巡りの両方を楽しめる、その名もMEET A TEXTILE !

地域を盛り上げながら、産地に人を呼ぶ

MEET A TEXTILEとは、申年から酉年にかわった本年、富士吉田市のゲストハウス、SARUYA (サルヤ)と八王子のデザイン会社TRICKY(トリッキー)が、ハタオリマチ富士吉田を存分に味わえる2日間をお届けしたいと企画したイベントです。

SARUYAは一昨年の開業以来、人と人のコミュニケーションやそこから生まれるアイデアを通して、街に新しい流れを生むために、本業である宿を軸として様々な取り組みを行っています。そしてTRICKYは、富士吉田市の地場産業である織物の魅力を発信するプロジェクト「ハタ印」を機に、この街に深く関わりを持ったそうです。そんな、同じ視点で街を見つめる2チームの第1弾の取り組みです。地域で起こっている活動と、ハタオリ産地が協力してできる企画なのです!

「山梨ハタオリ産地では、B to BからMEET A TEXTILEまでさまざまなプロジェクトを行われてきましたが、実は中心的な強いリーダーがいたわけではないんですよ」と、五十嵐さん。一つの産地を盛り上げるためには強いリーダーシップが必要だと考えていた私にとって、意外な言葉でした。

それぞれの取組みがうまく繋がることによって、大きな変化が生まれているそうです。

 

 

五十嵐さんが作った年表を見ると…確かに、どの企画もプロジェクト同士のつながり、人とのつながりがあります。それぞれの企画が、後のプロジェクトにつながっていく様子がよくわかります。産地の取組みをこんなにわかりやすく図にしてしまう五十嵐さん、さすがです。

五十嵐さんのわかりやすく、おもしろいお話で山梨ハタオリ産地の歴史と最近の取組みについてよくわかりました。

ここで、五十嵐さんに山梨ハタオリ産地の強みについても解説していただきました!

 

「創造的受身」の山梨ハタオリ産地

 

「山梨ハタオリ産地の特徴は創造的受身にあると思います!」と五十嵐さん。創造的受身…とはなんでしょうか?

 

創造的受身を理解するために、まずは山梨ハタオリ産地の主な特徴について紹介します!

一つは昭和から平成にいたる長い下請け業態。注文者側の厳しい要求に長年挑んできました。二つ目は家族規模の零細企業だということ。規模が小さい分、意思の伝達に時間がかからず、話が進みやすいという利点があるそうです!そして最後に、細い糸と高度な技術を要する生地の高品質性です。山奥にあるというハンデを乗り越えるために、手のかかる難しい生地で勝負してきたので、厳しい注文にも応えて、いろいろな生地を作ることができたのです。

一見産地の弱みのような気もしますが「マイナスななものを受け入れたうえで、そのハンデをどう強みに変えていくか。受身の中に創造性や柔軟性があるんです」と、五十嵐さん。なるほど!ハンデをハンデと捉えない姿勢によって、山梨ハタオリ産地の今がつくられているわけですね。でも、産地の強みはこれだけではありません。

オープンであること

古くからの伝統が息づく山梨ハタオリ産地。伝統を守りながらもその伝統にとらわれすぎない、オープンさが産地にはあるようです。

 

高須賀さん「ハタヤさんはこだわりを持って仕事をしている職人さんなので、頑固な人が多いんです。僕が最初に産地に行った時は誰からも相手にされませんでした(笑)」

高須賀さんは東京から富士吉田に引越し、足繁くハタヤさんに通い続けた甲斐もあって、だんだんとハタヤさんにも受け入れてもらえたといいます。伝統を受け継ぐハタヤさんの強い意思と、その思いをうまく汲み取る五十嵐さんや高須賀さんのような若手の存在があったのですね!

そして最後に、五十嵐さんが「やっぱりこれでしょう」と言っていた強みがあります。

 

愛ある改革者の存在

 

 

五十嵐さん「愛ある改革者の存在が大きいと思います」

産地の一歩外にいるサポーターのなかに、山梨ハタオリ産地をもっと良くしたい!という強い意思を持った人々がたくさんいるそうです。産地の技術者にちょっと厳しい要求をだすことで、一致団結して産地を盛り上げようという風潮が生まれたと言います。ロマンがありますね〜!

山梨ハタオリ産地の強みは?

 

山梨ハタオリ産地の強みは「創造的受身」「オープンであること」そして「愛ある改革者の存在」です。
そしてなにより、「オープンであること」を選択し、「愛ある改革者」を受け入れてきたのは、産地の人たちのなかに「自ら変わろうとする覚悟」があったからこそだ、ということでした。


たしかに、もし皆が「今のままでいいや」と思っていたら、わざわざ新しい外部の人を受け入れたりはしないし、耳の痛いことをうるさく言ってくる人と付き合ったりはしなかったはずですね。

他産地から注目されている山梨ハタオリ産地の魅力とは?

外部の人を受け入れるオープンさや、若手が持ち込んだ企画に対応する柔軟性や創造性、そして産地の魅力に惚れ込んだ人との関わり合い。これら全ての要素があるからこそ、バスツアーやヤマナシハタオリトラべルなどのプロジェクトが実現したと言えます。そして、産地の取組みとともに欠かせないのが情報発信。ハタヤさんの仕事をわかりやすく解説した冊子やサイト運営などを通し、幅広い人に産地についての情報を届け、イベントに参加した人々が更に情報を発信することで次々と人を呼び込み、産地の情報が伝わっていく中で、だんだんと他産地から注目されてきたそうです。

このように、産地の特徴と人々のつながりをうまく生かしたプロジェクトや情報発信で、山梨ハタオリ産地は他産地から注目されるようになったんですね!

「山梨産地は、置かれた環境や持っているものを生かして、自ら変わり続けてきた産地です。『本来の仕事とは』なんて固定観念は捨てて、できないと言われたものでも、それが産地のためになるのならやってみることが大事ではないでしょうか」と五十嵐さん。ここには、五十嵐さんの嫌いな言葉にはそんな思いが込められていました。

 

山梨ハタオリ産地についての知識が深まり、これにて公演は終了です。五十嵐さん、ありがとうございました!ここで一つ疑問が。一体五十嵐さんは産地にとってどんな人なんだろう? ということで…五十嵐さんの性格について、五十嵐さん自身に分析してもらいました!

五十嵐さんこそ創造的受身の愛ある改革者?!

自らも受身だという五十嵐さん。自分で「なにか変えてやろう!」という主体的な考えはあまりないそうです。「僕自身も与えられた状況の中でやるべきことを探すタイプです」穏やかな人柄の五十嵐さんらしい一言です。

山梨ハタオリ産地という場所に対して、経験や知識などをどう生かせるか模索した五十嵐さん。たとえ受身の姿勢でも、自身が置かれている状況の中で「なにができるか」を考える創造性と、情熱があったんですね!

五十嵐さんこそ愛ある改革者だといえます。

(左)ハタオリマチディレクター高須賀氏(右)富士技術支援センター五十嵐氏

 

今回は山梨ハタオリ産地の強みとそれを陰で支える五十嵐さんにフォーカスを当てました。ハタヤさんの高度な技術と、ハタヤさんの力をうまく引き出す人たちがいてこそ、良い産地が生まれるんですね!

TEXT:森口 理緒
画像のご提供:五十嵐 哲也さん


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