2022.04.21

【REPORT】民藝と産地を考える 大橋正芳先生セミナー


「民藝と産地を考える」と題して、シケンジョ(山梨県産業技術センター 富士技術支援センター)主催により、東京造形大学名誉教授の大橋正芳先生をお招きした勉強会が開催されました。

大橋先生は、日本から消えつつある美しい手仕事を守り人々に伝える「手仕事フォーラム」の設立メンバーであり、大橋先生の恩師の師匠である芹沢銈介氏が「唯一の師」と仰いだのが、柳宗悦(やなぎむねよし)氏です。今回は、その御縁や御経験から得た「民藝」についてをご教授頂き、今何故「民藝」が注目されているのか、更に「民藝と産地を考える」ことで、100年後の産地にどのような未来をもたらすかについて、産地の職人さんと一緒に考えました。

そもそも「民藝」とは?

さて突然ですが、皆さんは「民藝」という言葉にどのようなイメージをお持ちですか?高須賀ディレクターからは「大橋先生のお話を聞くまでは、お土産物屋さんに置いてあるこけしが“民芸品”のイメージでした。」という答えが返ってきました。

悩んでもわからないので、博識な大橋先生から「民藝」に関する定義を教えて頂きましょう!

「民藝」とは、提唱者の柳氏らが作り出した美の概念だそうです。彼らは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付けました。柳氏は「美は生活の中にあり、美術品に負けない美しさがある」と語り、各地の風土から生まれ、生活に根ざした「民藝」には健全な美が宿っていると提示したそうです。「民藝運動」が生まれた1926(大正15)年は、二つの世界大戦の狭間でした。そんな危機的状況の中にも関わらず日本各地を渡り歩き、物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを追求した活動が「民藝運動」だそうです。

当時、華美な装飾を施した観賞用の工芸がもてはやされていました。また、明治時代にARTを日本語に表す言葉として「美術」を作りましたが、西洋の考え方を移入したことで「美術/工芸」=「上位/下位」に分断されてしまいました。民藝運動は、それに異を唱えた活動でもありました。
ちなみに漢字の成り立ちとして、「芸」には(草を刈る)、「藝」には(苗木を植える=修練で身につける教養、技術)」という意味があり、その語源の違いからも、有識者の中では「民芸」と「民藝」には大きな違いがあると言われているそうです。

今何故「民藝」が注目されているのか

先日、東京国立近代美術館で「民藝」を題材とした初の展示会が開催されたのをご存知ですか?国立の美術館でこの展示会がこのタイミングで行われた意味、そして柳氏の批判に対してどのように応答するのかが注目されていました。

「民藝」は、戦争による侵略や、工業化が民族や文化を平坦にしてしまっていることに対して、日本各地の「生活の中の美」にフォーカスして新たな価値観を100年前に提示したものでした。そして100年後の現代もまた、戦争による民族侵略や他国の文化や流行がインターネットを通じて一瞬のうちに世界の文化を均一化していく現象が起きています。そのアンチテーゼとして、また「民藝」という考え方が注目されているのではないかと感じます。

現代こそ民藝の考え方が必要だとすると、今まで名前のでなかった織物職人や製品をしっかりと地域全体で価値を伝えていく活動である「ヤマナシハタオリトラベル」や「ハタオリマチのハタ印」の試みは、まさに現代の民藝運動のような存在なのかもしれないと感じました。

移り変わる激動の時代に生まれた「民藝運動」を読み解き、時代背景や思想、柳氏が本当に言いたかったことを今一度考察することは、100年後の産地がどんな方向に向かっていくべきか、そして持続可能な社会や暮らしが求められている今、私たちがどのような姿勢でものごとに取り組むべきかを考えるために重要な足がかりになると感じています。



産地のみんなと「民藝」について考える。

「本物の手仕事は美しい自然と人のつながり、地域社会の歴史風土と長年の技術的伝統によって成り立っている。」
この民藝に対する考え方に、産地として共感できる部分がたくさんあります。山梨の織物は、美しい富士山の恵みがあるこの土地でしか出来ない「ものづくり」として、また技術を磨き上げた職人さんの手仕事の結晶として存在しています。

「手仕事」でなければ民藝ではないというイメージがあります。しかし、まるで手の延長として「自動織機」を使いこなし、工業製品と手工業の両面をもつものづくりの形として、存在するハタオリマチの織物産業は、100年たった今では時代に合わせて形を変化させながら存在している「現代の民藝」なのではないかと感じました。
柳宗悦が本当に言いたかったことを今一度振り返り考察することは、100年後の私たちの産地がどの様な方向に向かっていけばいいか、民藝という言葉を中心に過去と未来をつなぐヒントが隠されたトークショーとなりました。


新型コロナウイルスや露によるウクライナ侵攻など、激動の時代に生きる私達は、この時代のスピードの中であえて立ち止まり、過去を振り返ることで、いま産地としてやれること、そしてものづくりのプロたちの集う、ハタオリマチから発信できることが明確になるのではないかと確信しています。


「良い手仕事の品は私たちの生活を豊かにしてくれる。」

民藝に、そして大橋先生のお言葉にとても勇気づけられた勉強会でした。「100年前の事柄を見直し、100年後の産地を機屋さんと想像したい」ハタ印ディレクターの高須賀活良氏の意向から企画がスタートしたこの勉強会は、過去と未来の取り組みをつなげて考える場として、またムーブメントとしても、これからも続けるべきものであり、大切にしていきたいと思います。貴重な勉強会をありがとうございました!

大橋先生の作品をご覧になりたい方はこちらのリンクからどうぞ。


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