山梨ハタオリ産地が注目されている理由とは?
こんにちは!ハタ印運営事務局です。
古くから織物のまちである山梨の富士吉田市と西桂町。本サイトでは、この織物産地をずっと支えてきた織工さんからハタヤさん、糸商さんや染色業の方など「イトヘン」のつく業種の方々をご紹介してきました。そんな山梨ハタオリ産地が、最近他産地から注目を集めているそうです。
山梨ハタオリ産地が他産地から魅力的に映る理由はどこにあるのか、ぜひ私たちも知りたいということで、山梨ハタオリ産地を一歩外からそっと支える山梨富士工業技術センターの五十嵐さんにお話を伺いました!
実は五十嵐さん、この山梨ハタオリ産地を活気づける立役者でもあるそうです。
五十嵐さんは産地を発信するためのイベントやフリーペーパーの制作などを影からバックアップしながら、近年の産地の動きを常に見守ってきました。
普段は山梨県富士工業技術センターで様々な業務をされている五十嵐さん。今回は、同じく繊維業が盛んな八王子で五十嵐さんが公演をすると聞いて駆けつけました!
他産地である八王子で講演をする意味
なぜ、他産地である八王子で山梨ハタオリ産地を紹介するのでしょうか?そこにはこの公演の主催者であり、八王子で活躍する奥田さんの思いがありました。
奥田さん「繊維産業のまちである八王子は山梨に似てるけど、学ばなきゃいけないことがたくさんある。ヒントが欲しい」
山梨ハタオリ産地を知ることで、八王子の見本にしたいと考えたそうです。
公演が始まりました!
この公演では、山梨ハタオリ産地の歴史と最近の取り組みについて紹介し、なぜこの産地が注目を集めているのか解説していただきます。山梨ハタオリ産地の歩みについて紹介していきます。
実はこの資料がとってもわかりやすいと評判なんです!
五十嵐さん「まずは、私の自己紹介を」
五十嵐さんてどんな人?
淡々と自己紹介を始める五十嵐さんですが、五十嵐さんの生まれたての写真や同い年の有名人、その年のオリコンランキングなどを盛り込んでいます。
ユーモア満載のつかみで、公演に来た方も「懐かしい!」と楽しみながら聞いていました。
五十嵐さんにはさりげなく笑いを誘い、人を惹きつける魅力がります。
そんな五十嵐さん、十代の頃はマンガ好きだったそうです。
五十嵐さん「アニメよりマンガ派ですね。白黒の絵がいいですよね!」
どこか生き生きとしています。
マンガ好きに加え、天文に興味を持っていた五十嵐さん。自らこんな絵を描くほどです!この頃からデザインと縁があったのでしょうか。
ここで、五十嵐さんの経歴について紹介します!
五十嵐さんが山梨と関わるきっかけは何でしょうか?
五十嵐さんと山梨の関係
地元である千葉の大学でデザインを学んでいた五十嵐さん。甲府出身である教授の研究室に入ったことがきっかけで、山梨と関わりを持ったそうです。
五十嵐さんの経歴と、山梨ハタオリ産地がうまく混ざり合っているのが一目瞭然!
五十嵐さんについて少し知ったところで、いよいよ山梨ハタオリ産地についてお話を伺っていきます!
と、その前に…
「私が嫌いな言葉を紹介しますね」と五十嵐さん。
五十嵐さんの、産地に対する思いや仕事への姿勢を読み取ることができる言葉です。
この3つの言葉、実は今回の公演の内容と関わりがあるんです!
山梨ハタオリ産地がどうして他産地から注目されているのか、そのヒントがこの3つの言葉に隠されています。
山梨ハタオリ産地の歩み
山梨は古くから織物のまちとして栄えてきました。ハタヤさんのお仕事は、主にテキスタイル(布)デザインです。
「布をデザインする」と聞いてもいまいちピンとこない…ということで、さっそく五十嵐さんのとってもわかりやすい資料で解説します!
五十嵐さん「布を作りたい!となったとき、どんな素材で、どんな肌触りの布にしたいのかを決めるのがテキスタイルデザインです」
これらの要望を翻訳するのがハタヤさんなのです。
「布をデザインする」とは、単に柄や色を決めることだけではないんですね!
そんなハタヤさんが、山梨の富士吉田や西桂町で発展したのはなぜでしょう。
ハタオリのまちはどうして生まれたの?
そのヒミツは、水と立地にありました。
富士山の麓にある富士吉田市と西桂町は、富士山からの水が豊富に湧き出る場所。
雄大な富士の山から出る湧き水は不純物が少なく、糸を染めるのに適した水なんだとか。
五十嵐さん「何百年にわたって絹を染め、機を織ってきたんです。水に育てられてきたといっても過言ではないですね」
富士山の水があったからこそ、染色を発展させることができたんです!
そして、もう一つは立地です。
山梨は江戸から離れた山の奥にあったため、なかなか商人が来られないという弱点がありました。
その弱点を強みに変えたのが、山梨ハタオリ産地。
山奥にある産地のため、江戸に運びやすい「軽さ」と、他の産地とは一味違う「高級さ」をアピールしたのです。
その結果生まれたのが、着物の裏地などに使われるとっても薄くて軽い甲斐絹(かいき)です。
山梨の代名詞、甲斐絹
今現在甲斐絹は作られていませんが、甲斐絹の技術を受け継いだハタヤさんが再現しています。
この甲斐絹、江戸時代に大活躍します。
江戸時代の奢侈禁止令で、庶民は派手な着物を着ることができなくなりました。
「でもやっぱりオシャレがしたい!」と思った人々は、着物の裏地を豪華にしてオシャレを楽しんでいたのです。
ここで五十嵐さんがわかりやすいように出してくれた資料がこちら。
ビー・バップ・ハイスクールです!
五十嵐さん「裏地を派手にするのはまさにビー・バップ・ハイスクールですよね!校則はしっかり守っているところがポイントです」
ユーモアたっぷりのたとえ話は五十嵐さんの得意技。
くすっと笑ってしまいますが、例えがわかりやすいので妙に納得してしまいます。
江戸時代から昭和初期にかけて、甲斐絹は日本有数のハタオリ産地として知られていました。
しかし1970年代以降、山梨の織物は衰退していきます。
山梨ハタオリ産地の名もない時代
江戸時代には「郡内島」という名前で、明治時代から戦後にかけては「甲斐絹」という名前で産地は繁栄してきました。
江戸時代から戦後にかけて、産地の名前がそのままブランドとして商品になっていたのです。
しかし戦後になると、産地の名前は表舞台から消えていってしまいます。
戦後、山梨ハタオリ産地は外から仕事をもらう代わりに産地の名前を出せない
「OEM」というビジネスの形になっていきます。
少し難しいなぁ…と思っていたところ、
五十嵐さん「ここで出てくるのが千と千尋の神隠しですね」
五十嵐さんのたとえ話に助けられます!
ここでは名前を奪われた千尋(千)が山梨の産地、仕事を与える代わりに名前を奪う湯婆婆が注文する側になります。
私も「なるほどー!」と心の中で思わず叫んでしまします。
五十嵐さん「戦後長い間OEMだったため、産地のすごさが知られてこなかったんです。バブル崩壊後にOEMの仕事も減ったので脱OEMを試みたんですが、名の知れない産地は相手にされなかったんですよ」
名前のない時代を抜け出すということはなかなか難しいことでした。
以前五十嵐さんと同じく山梨富士工業技術センターで働き、山梨ハタオリ産地を盛り上げる高須賀 活良さんにもお話を伺いました。
活良さん「今は注文する側の発言権が強いけど、昔は糸を持っている人の方がすごかったんです。糸がないとデザインすらできないという当たり前の仕組みが成り立っていたんですよ」
出来上がった服のことを考えることはあっても、布を作るための糸に思いを巡らせることが少なくなった今の時代。OEMが根強いことがよくわかります。
「確かに、糸がないと何もできないなぁ」と改めて実感しました。
そんな山梨ハタオリ産地が名前を取り戻すようになったのは2007年頃のことです。
山梨ハタオリ産地の取り組み
産地の各ハタヤさんはそれまで、展示会を行ってきました。
けれどその展示会、産地の良さが伝わりづらくなんだか行きにくそうな雰囲気…
五十嵐さん「ちょっと怖いですよね(笑)」
実は、ハタヤさんにデザインができる人がいなかったんです。
そこで2007年、展示会のコーディネーターとして鈴木マサルさんを迎え、展示会のディレクションをしてもらいまいました。
そして完成した展示会がこちら!
モダンでかっこよく生まれ変わりました。どこかおしゃれで手に取りたくなってしまいますよね!
五十嵐さん「鈴木さんにダメ出しされたハタヤさんが気合を入れて作った展示会なんです」
鈴木マサルさんの厳しいディレクションとハタヤさんの技術がうまくマッチした結果なんですね。
さらにハタヤさんと学生のコラボレーションが、産地に新たな風を吹き込みます!
ハタヤさんのオープンな姿勢
2009年に始まった、学生と企業のテキスタイルコラボ事業、「フジヤマテキスタイルプロジェクト」です。
学生が持ち込んだ企画にハタヤさんが応えるこのプロジェクトは、学生だけでなく、ハタヤさんにも良い刺激を与えたそう。
東京からも近い富士吉田市や西桂町。
「学生がトラベル感覚で来られるのも、この産地の強みかもしれないですね」と、五十嵐さんは温かい目で話していました。
そして、五十嵐さんが中心となったプロジェクトが…
「ヤマナシハタオリ産地バスツアー」です!
産地を発信するプロジェクト
ヤマナシハタオリ産地バスツアーは、ビジネスとビジネスを結びつけるためのもの(B to B)。テキスタイルデザインに興味のある方が、産地をバスで巡りながら織物について学びます。
五十嵐さん「B to Bによって注文者の上から目線ではなく、作ってる人をその場で見てリスペクトしてもらうことができるんです」
まさに五十嵐さんの嫌いな言葉、「お客様は神様です」を現していますね。
さらに織物業に携わる人たちだけでなく、織物のことを知らない人たちにも産地をアピールするための取り組みもあるんです!
産地を知らない人への入り口作り
その1つが、各ハタヤさんの自社ブランド製品を消費者に直接届けるヤマナシハタオリトラベル。
「織った人から買えるなんてはじめて!」と感動するお客さんも多いんだとか。
そしてもう1つ、富士吉田旅行とハタヤ巡りの両方楽しめる企画があるんです。
その名もMEET A TEXTILE !
地域を盛り上げながら、産地に人を呼ぶ
MEET A TEXTILEで は、富士吉田のゲストハウスに泊まってじっくりハタヤさんを訪ねることができるんです。
富士吉田市のおしゃれなゲストハウス、SARUYAはオーナーの「吉田を活気付けたい」という思いから始めたもの。
地域で起こっている活動と、ハタオリ産地が協力してできる企画なのです!
「B to BからMEET A TEXTILEまでさまざまなプロジェクトを行ってきましたが、実はこれといったリーダーがいるわけではないんですよ」と、五十嵐さん。
一つの産地を盛り上げるためには強いリーダーシップが必要だと考えていた私にとって、意外な言葉でした。
それぞれの取り組みがうまく繋がることによって、大きな変化が生まれているそうです。
五十嵐さんが作った年表を見ると…
確かに、どの企画もプロジェクト同士のつながり、人とのつながりがあります。
産地の取り組みをこんなにわかりやすく図にしてしまう五十嵐さん、さすがです。
五十嵐さんのわかりやすく、おもしろいお話で山梨ハタオリ産地の歴史と最近の取り組みについてよくわかりました!
ここで、五十嵐さんに山梨ハタオリ産地の強みについて解説してもらいました。
「創造的受身」の山梨ハタオリ産地
「山梨ハタオリ産地の特徴は創造的受身にあると思います!」と五十嵐さん。
創造的受身…とはなんでしょうか。
創造的受身を理解するために、まずは山梨ハタオリ産地の主な特徴について紹介します!
一つは戦後の名もない時代の下請け業態。注文者側の厳しい要求に長年挑んできました。
二つ目は家族規模の零細企業だということ。
規模が小さい分、意思の伝達に時間がかからず、話が進みやすいという利点が!
そして最後に、細い糸と高度な技術を要する生地の高品質性です。山奥にあるというハンデを乗り越えるために、高品質なもので勝負してきました。
一見産地の弱みのような気もしますが…
五十嵐さん「マイナスななものを受け入れたうえで、そのハンデをどう強みに変えていくか。受身の中に創造性や柔軟性があるんです」
なるほど!
ハンデをハンデと捉えない姿勢によって、山梨ハタオリ産地の今がつくられているわけですね。
産地の強みはこれだけではありません。
オープンであること
古くからの伝統が息づく山梨ハタオリ産地。伝統を守りながらもその伝統にとらわれすぎない、オープンさが産地にはあります。
活良さん「ハタヤさんはこだわりを持っている人が多いので、頑固な人が多いんです。僕が最初に産地に行った時は相手にされなかったんですよ」
活良さんの努力の甲斐もあって、だんだんとハタヤさんに受け入れられてきたといいます。
伝統を受け継ぐハタヤさんの強い意思と、その思いをうまく汲み取る五十嵐さんや活良さんのような若手の存在があったんですね!
そして最後に、五十嵐さんが「やっぱりこれでしょう」と言っていた強みがあります。
愛ある改革者の存在
五十嵐さん「愛ある改革者の存在が大きいと思います」
産地とは直接関わりがなかった人でも、山梨ハタオリ産地を変えてやろう!という強い意思を持った人々がたくさんいます。
産地の技術者にちょっと厳しい要求をだすことで、一致団結して産地を盛り上げようという風潮が生まれたと言います。
なんかロマンがありますね〜!
山梨ハタオリ産地の強みは?
改めて、山梨ハタオリ産地の強みは「創造的受身」、「オープンであること」、そして「愛ある改革者の存在」です。
産地の特徴と人々のつながりをうまく生かしたプロジェクトで、山梨ハタオリ産地は他産地から注目されるようになったことがよくわかりました!!
五十嵐さん「本来の仕事ではなくても、できないと言われたものでも、それが産地のためになるのならやってみることが大事です」
五十嵐さんの嫌いな言葉にはそんな思いが込められていました。
山梨ハタオリ産地についての知識が深まり、これにて公演は終了です。
五十嵐さん、ありがとうございました!
ここで一つ疑問が。
一体五十嵐さんは産地にとってどんな人なんだろう?
ということで…
五十嵐さんの性格について、五十嵐さんが分析します!
五十嵐さんこそ創造的受身の愛ある改革者?!
自らも受身だという五十嵐さん。
自分で「なにか変えてやろう!」という主体的な考えはあまりないそうです。
五十嵐さん「僕自身も与えられた状況の中でやるべきことを探すタイプです」
穏やかな人柄の五十嵐さんらしい一言です。
山梨ハタオリ産地という場所に対して、経験や知識などをどう生かせるか模索した五十嵐さん。
たとえ受身の姿勢でも、自身が置かれている状況の中で「なにができるか」を考える創造性と、情熱があったんですね!
五十嵐さんこそ愛ある改革者だといえます。
今回は山梨ハタオリ産地の強みとそれを陰で支える五十嵐さんにフォーカスを当てました。
ハタヤさんの高度な技術と、ハタヤさんの力をうまく引き出す人たちがいてこそ、良い産地が生まれるんですね!